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06-06-18 BUBKA (2)

06-6-18
 とうとう原作は来なかった。もう一刻の猶予もならぬ。最終回だと言うのに。今日は久住はまたライブの日だ。最後の最後に来てとうとう投げたか。
 今回はKYON2、昨日寝ながら代案を考えていたら夢の中でKYON2がクリシュナのような姿で現れた。よし、これをメインに据えて描いてみるか。
 久住のHPの日記をチェックしたら15年振りの録音完成と今日のライブのこと、終わったらW杯観ながら打ち上げだ、なんて浮かれている。バカヤロー、オレだってなー、ほんとなら原稿上げて今日はパブリックビューイングで飲みながら「日本対クロアチア」戦観る予定だったんだよぅ。おまえはなぁ漫画家失格だよ。ホームグラウンドを大切にしないでアウェーにばかり気を使う。もっともあんたにとってホームグラウンドは泉昌之でも最早漫画ですらなくて音楽と切り絵のようだけど。
 6Pのうち4Pほどまとまったのでとりあえず下描き、ペン入れ。
 22時から晩飯食いがてら23時50分までサッカー。役立たずの柳沢の顔が久住と重なる。高原に到ってはまったく疫病神だ。勝てる試合を落としてテンション下がるも、最後まであきらめない強い姿勢を一番出し続けたヒデには感動。泣きながらオレもやるオレもやる、と原稿後半のネームと下描き。

06-06-19
 残りの抜けコマを考えてペン入れほぼ終わりかけた夕方に久住から原作3P分送られてくる。ライブも済んで一段落して描き始めたみたいだがもう遅すぎる。その旨すぐ電話して切る。後から詫びFAXが送られてくる。以前のようにできなくなった、と言い訳をしているが、以前のように出来ないものを以前のようなやり方で続けているから出来ないのであって、それよりなにより「一応漫画家です」なんて人に言ってんだったら音楽より切り絵より漫画大事にしろっちゅう話や。マルチな才能なんて人にちやほやされて、やってることは全部中途半端じゃないか。漫画描くなら全力で漫画描け。音楽やりたいなら全力で音楽やれ。つまらない仕事でも全力でやれ。人気商売、甘やかしてもらえるのは商品価値があるときだけだ。
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2006年06月28日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

05-12-13 bubka

 結局後になるはずの「漫画ナックルズ/10p」も終わり、「BUBKA」だけが残った。久住からの原作は1Pたりとも来ない。いつもは15日がギリギリだが年末進行で締め切り早いって言ってあるのに。切り絵展やったりライブやったり、なにをやろうと勝手だがちゃんと漫画の仕事をしろよ!オレの忍耐も限界だ。久住の都合でキリキリさせられるのももう「BUBKA」のみ。それも単行本分がたまり次第終了予定。もう少しの辛抱だ。

05-12-14
起きた時にも原作は届いていず。15日にライブってなってたからな。もう間に合わないかな。いよいよこれは本腰入れて代案つくるか。とりあえず表紙絵だけは描いておこう。と進めていた午後の4時を過ぎてようやく原作がFAXで送られてきた。イライラしながら待ったが催促電話はせず。催促されなきゃやらなくなってきた状況がイヤだったからだ。オレは久住のマネージャーでもなければアシスタントでもない。締め切りわかってるはずなのに催促されてようやく始めるような、オレがキリキリしてるのわかってるはずなのに放ったらかしにできるその神経がたまらんな。「どうしたんだ、ヘ、ヘイベイベー」場違いなRCの歌が頭の中を流れる。
 夕方からバタバタと下描き全と主要人物のペン入れ全。
* 翌日にはその他の人物と背景、仕上げをやって夕方編集に渡す。そのまた翌日は矢沢のライブだった。危ないところだった。

06-01-12
 正月早々「BUBKA/久住」の原作が遅れている。原作は10日までに、って年末に言ってあるのに。催促の電話があるまであくまでやらないつもりのようだ。

06-02-15
 「BUBKA」6Pのうち3P届く。また細切れだ。こんなもんで描けっちゅうのか。先週取材の際に念を押したはずだが。週末にやれる、と言っていたはずだが。「忍耐」の「忍」の字がぼ―――っとかすむ。腹ぁくくって落としてやろうか。そうしてもわかんねぇだろうな。編集も泣くしな。そうはいってもやる気出ず。気分転換にCD買いに出る。3枚買ってくる。

06-02-16
 午後に残りの3P届く。下描き、人物ペン全。背景少し。
*翌日背景の続きと仕上げ全。

2006年06月27日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

05-11-24 ダンドリくんBLACK (その2)

05-11-24
 昨日の昼の「ダンドリくんBLACK」の打ち合わせからどうにも気がノラない。これまでも何度も久住と仕事を続けていくのはイヤだ、と思ったことはあるが、仕事だから、と割り切って、職業として徹していくつもりで乗り切ってきたがどうにもこの企画はノレない、気が重い。
 「新さん」(‘97)あたりから久住の原作には興味を持てなくなってしまった。二人でやってきて面白かったのは、そこに自分が反映していたからだ。自分でも面白いと思える世界がそこにあったからだ。「新さん」は当初僕が想像していたものとは随分違うものになってしまった。勝新をイメージして始まったはずなのに、だらしない男のだらしない漫画になってしまった。僕がもっとも嫌う久住のだらしない部分が前面に出た漫画になってしまった。
 思えばそこがターニングポイントだった。久住が、自分ではない誰か、から自分のことを描くようになってだらだらした漫画が何本か続き久住の描くものに面白さを感じられなくなってしまった。
 久住の描くものに面白さを感じていたのは、他人を見る目、に独特の面白さがあったからだ。それと物語に緊張と緩和をふくませる作りが実にうまかった。その落差が大きければ大きいほど話は面白い。だからそれに比べて彼が自分のことを書いたエッセイなどはだらだらしているばかりでちっとも面白く感じられなかった。
 さらにそのころから久住の原作がどんどん遅れてくるようになった。無計画にいろんな仕事を並行して進めて、その結果時間がきっちり取れなくなって細切れで原作が送られてくる。先の見えない原作を送られてどうやって気持ちを盛り上げて描けと言うのだ!原作が細切れで送られてくる度になんども気が滅入ってしまった。それを許してしまった俺にも責任はあるが、あまりにも締め切りがまじかに迫り少しずつでも進めるしか仕方がなかったのだ。
 気がつけばそれが常態になってしまい、俺や編集が電話をするまで久住は原作を描いてこないようになってしまった。

05-11-27
 夜、久住、シーズ編集と「ダンドリくんBLACK」取材予定だったが、このままでは続けられない旨話をつけることにし、近くの居酒屋へ。約3時間、言いたいことは一応全部吐き出してきた。即答はできない、と言われたがいずれにせよ今回限りにさせてもらう。
 元々が単行本描きおろしの企画として始めたもので、格安の原稿料でも出ないよりマシと思って引き受けたのに原稿がたまりだしても一向に単行本にする企画を進めてもらえない。久住がぶんか社に持ちかけて単行本企画が通ったので、ここらが潮時だった。漸く重い荷物を一つ降ろした気分。

2006年06月24日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’80-12-14

うなだれ悲しんでいるとき、なにが力となるだろう
死にたい衝動にかられているとき、なにが支えとなるだろう
捜し求めているものが何だかわからないままに音楽を聴き感じる

考えていることが相手に伝わらないもどかしさ
口に出して言うことのもどかしさ
故なき行動の必然性を誰がわかってくれるだろう
気違い扱いされるのは、今日は見知らぬ他人であっても明日はあなたかもしれない
それとも僕か

2006年06月22日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’82-04-15 ビ、ビーム、ビート!

 ビートだ、ビートなんだ。オレの中で踊っているのは。
胸が熱くなり、もうどうしようもないくらいに、ビートなんだ。
 初めにビートありきって誰が言ったんだっけ、そう、まずビートありきだ。
全てに優先され、爆発する瞬間を待っている。
爆発する瞬間を待っている。

2006年06月20日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

05-4-4 泉谷 mixi日記より

僕たちにいま一番必要なものは
熱い恋や夢でなく、まぶしい空から降ってくる
白雪姫の毒りんご」
とこれは、泉谷しげるのデビューアルバムに入っていた曲の歌詞だけど、なんか最近よく口をついで出てくるんだなぁ。
 でもそういう事はよくあって、朝CDをかける前に頭ん中でメロディが鳴ってて、なんの曲だっけってCD棚を探すことってしょっちゅうだ。頭で鳴ってる曲が見つからないと気になってずっと探し続けるなんてこともしょっちゅうだ。それで、持ってたらいいけどちょっと前に売っちゃってたりなんかすると大変。場合によっては買い直し。なんで?オレの頭ン中どうなってるの!?
今日なんてバルトークが鳴ってて、バルトークって気付くまでに随分時間がかかったよ。ああ「シャイニング」で使ってた曲だって気付いて、結局「シャイニング」観ちゃったよ。

 *その泉谷の初期の曲を集めたCDを今ごろ見つけてきて聴いている。いい。実にいい。フォーライフを離れてから出した「80のバラッド」は個人的フェイバリット。外に向かう力と内に向かう内省の眼がバランス良く出た傑作。今でも僕の心を揺さぶる。

2006年06月18日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’81-12-06 音楽

 音楽から受けた衝撃を自分の中にあるものとして確認し、それを土台にしてJUMPせよ。
 音楽から受けた衝撃とは、その音楽の持つ衝撃と自分の中にある衝撃とが出会った時に受ける衝撃を言う。
 自分の中にある何か、とは概ね負の衝動である。負の衝動が何らかのきっかけで前に出てくる時、それは負のままで出てくる場合もあれば正に転換されて出てくる場合もある。JUMPして落ちる時もあれば飛翔する時もある。落ちたら落ちたでもう一度JUMPすればいい。何度でも納得のいくまでJUMPしなければあなたは今のままでそこに留まる。
 僕に大切なものは受けた衝撃を自分自身の中にあるものとして受け止め確認することにある。そこから何かが始まるに違いない。

 *なんか音楽を聴いて感動することってあるでしょ?その感動が自分を突き動かすことってあるでしょ?それを大切にしたいなって。いつまでも大切にしたいなって。思うわけです。特に十代二十代のときに聴いて感動した音楽って今でも僕を揺さぶり続けるわけです。

2006年06月16日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

02-06-10 井上陽水

熱狂の一夜にあたってぐったりだ(日本ロシア戦)。17時に家を出てバイクで府中の森芸術劇場へ。今日は初めて観る陽水だ。
 開演19:05。前半はバラッド系のものが多く、コンサートとしてはダレる。後半は盛り上げて「最後のニュース」で締めた。いい感じだった、と思っていたらここからアンコールが更に良かった。20:45頃に本チャンを終えてから5分くらいして出てきて3曲、さらに再びのアンコールに応えて陽水が一人で「心もよう」、そして「傘がない」ではバックのメンバーが一人づつ加わる、という演出。やっぱり「傘がない」は名曲だな。終演21:30頃。
 たっぷり聴けて満足。でも陽水はもういいや。自分が音楽に求めているものはうまい演奏やいい曲ではないんだな、と実感。音楽に向かう姿勢が攻めに入っているもの、いつも新しい気持ちでゾクゾクさせてくれるもの、そんな音楽をこそ求めてるんだな。

2006年06月15日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

02-06-09 W杯「日本対ロシア」

15時にYくんと駅前で待ち合わせて渋谷経由新横浜へ。前日にYくんが手に入れたチケットはなんと1枚1000ドルだ。ゆっくり腹ごしらえして新横浜国際競技場へ。
 20時半試合開始。入場口をぬけるまで長蛇の列で1時間、ビール飲んだりしているうちに時間だ。会場はほとんど日本人でうまり青一色だ。試合は後半6分に稲本の入れた1点が決勝点になり日本が1-0でW杯史上初の1勝!歴史的瞬間だ!その時にその場にいる幸せ!
 帰りもゲートを出るまで1時間。渋谷、吉祥寺の各駅前は会場以上の盛り上がりで凄まじい状態だ。翌日のニュースで知ったが、この日の夜は東京以外でも凄い盛り上がりだったらしく、大阪の道頓堀には140人もの人が飛び込んだと言う。凄いね。

2006年06月14日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

02-05-01 書評とバッハ ネット日記より

 忙しいけれど近頃はできるだけ本を読むようにしている。キチンとした本を読むことは自分の場合頭を整理するのに役に立つ。人というものは結局は最後は頭ではなく体のほうが勝手に判断してうごいてしまうものではないか、と思っているけれどそれにしても日ごろから自分の行動や思考を頭で検証してみることは、また行動に影響を与える。
「数学嫌いのための数学」は歴史や経済の本。書名に偽りあり、だな。面白く読めたけど数学嫌いにはお勧めできません。
「幸福論」今年で満百歳になった医学博士塩谷信男の本。感心させられることが多い。
「三島由紀夫とはなにものだったのか」橋本治によるこの本は三島を破壊する。騙されているのだとしたら見事に騙されてしまうがその分析には感心してしまう。三島を読む意味がなくなってしまう!?
小説はスペンサーシリーズのパーカーが書いた「ガンマンの伝説」を読んだ。OK牧場で有名なアープ兄弟を描いたものだ。淡々としすぎていて、なんの感想も持てなかった。パーカーももう70歳だ。きっとそんな歳になっても心が揺れ動くことはあるんじゃないか、と思うんだけど作品にはそれはない。もの足りないなぁ。
今日は一日バッハを聴いていた。「カンタータ」、声楽もの。2年前に買った25枚組ようやく14枚目に突入。何年かかることやら。聞き終わる頃にはきれいさっぱり忘れていそうだ。バッハは多分死ぬまで聴き続けるな。奥が深くて面白い。

2006年06月13日 未分類 トラックバック:0 コメント:1

02-05-24 カメルーン

まったく日本人ってやつは几帳面で非常識な民族だ。4日遅れのサッカー・カメルーン・チームが合宿先に24日の午前3時すぎに到着。3時だよ3時。その時間に多くの取材陣をはじめ大人から子供までが出迎えて歓迎会だ。明日にしようよ明日に。
まったく日本人ってやつは几帳面で非常識な民族だ。

*4年前の日韓W杯での出来事。

2006年06月12日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’80-04-14 人生廃業

人生を廃業してしまったものに夢も希望もあるわきゃない。
もともと絶望してしまったこの社会にただただ気楽に生きるだけなのだ。
誰の言い分も正しい。違っているのはあなたとわたし、なのだ。
分かり合う、と言うのは互いの言い分を2つに分かり合う、と言うことだ。
2つの言い分を2つにみてとることであって、1つにまとめてしまうことではない。
それをいっしょくたにしてしまうから摩擦が生ずるのだ。
誰の言い分も正しい。違っているのはあなたとわたし、なのだ。

2006年06月11日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’76-06-04 因果応報


いつか生まれて来たようにいつか死んで行く。という事実。必ずいつか死ぬ。生まれて来た時は恐ろしくもなにも考えることがなかったように、死ぬ時もなにも考えず、自然死。
 自然死。何事も無理せず自然にふるまへる様になるのはいつのことだろう。今はやっぱり多少のツッパリがないと自分の位置を見失いさうだ。

2006年06月10日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’76-01-30 コート

初めて新しいコートを手にした時(それまでは好んで兄貴のお古を着ていた)とっても嬉しかった。でも会社に入ってこいつがサラリーマンのコートなのだ、とわかった時とっても気分が悪くなった。せっかく母に買って貰ったコートだけど社会に埋没してしまうような居心地の悪さを感じたのだった。

2006年06月09日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

01-04-21 物欲


 人間何か一つは徹テ的にやりましょう。あとは中途半端でもいい。欲を持ってやりましょう。あれもこれも手を出すのはかまわない。でもそのどれもが中途半端では結局自分の中に充実感を持つことができない。いつも心のどこかで半端な気持ちを持ちながら生き続けることになってしまう。
 形あるものでも形のないものでもかまわない。物欲大いに結構。欲を捨てろ、などとのたまうのは人間を知らない人、人間を捨てた人の言うことだ。無欲とは無欲を欲する人の言う言葉である。あれこれ余計なことを考えるな、程度の意味で使われているのだろう。「無欲」じゃなくて「一欲」かな。
人間とは欲の塊であり、だからこそ生き生きと生きていられるのだ。

2006年06月08日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

06-02 クラシックCD


06-02-15
おそらくクラシック・レコード史上最上位に位置するであろう「フルトヴェングラー指揮ヴァイロイトのベートーヴェン合唱」。そのオリジナル英HMVレコード盤起こしのCDは、これまでのLP,CDとは次元の違う音の良さだと言う。先日そのCDを見かけてからずっと気になっていたので家にあるLP,CD共に聴き直してみたがやはりどちらも貧しい音でしかない。この世紀の名演はたしてどのくらい音が違うのか。買ってきた。
 はたしてこれはこれまでとは次元の違う音の良さ!LPノイズはあるもののその臨場感にはただただ感激のひとこと。幕が一枚取れたような、高音の弦の伸びがまるで違う。

06-02-17
「ベートーヴェン運命/フルトヴェングラー」を買う。一昨日買った「合唱」と同じく、フルヴェン第五の決定盤と言えるウィーンフィルとの‘54年スタジオ録音盤の英HMVオリジナル盤起こし。両方とも平林直哉氏の手によるGrandSlamRecords。
 店内で英HMV盤のラフマニノフピアノ協奏曲がかかっていた。なんときれいないい音!いいプレーヤーでかける英オリジナル盤にかなうものはないと言うが、なるほど英オリジナル盤というのはこれほどの魔力を持ったものなのか、と実感。

06-02-18
クラシックにハマってるなぁ。仕事の合間にも以前買い揃えたクラシック本を引っ張り出して読み漁る。今日は原稿渡しをしてから駅前図書館でレコ芸バックナンバーを拾い読み。まだまだ聴いてみたいものが何枚も出てくる。
 音楽業界もデジタル、CD時代に入って四半世紀、フルトヴェングラーの今回のCDのようにデジタルリマスターせず初期レコード盤起こしという、いわば掟破りの逆発想による盤の登場によってこれまでCD化されてきた名盤の多くが音質の面からまた見直される時期に入ってきた。デジタルオーディオいまだ過渡期ということか。
 CD化によってSP,LPの音はこんなに貧しかった、CD化によって見違えるような音に生まれ変わった、という定説はいまや覆されようとしている。

06-02-19
これまで見た事も聞いた事もなかったホロヴィッツの‘53年カーネギーホール録音によるチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番(指揮・ジョージセル)がCDでいきなり出てきた。音源は、本来RCAで出されるはずだったものが発売中止になり、テープ流出によるプライベート盤で出回ったものだという。これも盤起こしのデジタルリマスターなしのもの。それにしてもなんたる音の良さ!瑞瑞しくピアノにも艶があって、しかも圧倒的な臨場感!現正規盤CD(トスカニーニ指揮)の貧しい音質と比べて格段の差。これはいったいどういうことだ?!

2006年06月07日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

01-03-11 髪結新三


 テレビで「髪結新三」をやっていたので観る。三遊亭円生の人情噺でやっているものとほぼ同じだ。勘九郎が新三役をうまく見せている。全体のトーンが軽く、普段歌舞伎を観ないオレみたいな人間でも楽しめそうだ。面目を潰された八太五郎源八と新三が斬り合う最後の場面は円生噺ではカットされているが、ドラマとしてはやはり必要だろう。噺でやるとそこだけ重くなってしまうので円生はカットしたんだろうな。今度上演したら生で観てみたいものだ。

2006年06月06日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

06-06-05 盗作問題

06-06-05
去年の芸術選奨を受賞した画家の和田義彦の盗作疑惑。盗作した当の画家アルベルト・スギ氏には訴えないでくれ、と泣きを入れ、国内では盗作は見解の相違、と強がる。みっともないねぇ。ここまでバレちゃったらもう「盗作の画家」として売り出すしか道は残ってないでしょ。スギ氏の作品と和田の作品を並べて展覧会を開いたら客が殺到すると思うけどなぁ。オレは見てみたい。みたい。スギ氏は日本で認知度アップまちがいなしだし、和田は盗作の画家としてテレビにひっぱりだこ。私は如何にして盗作をするに到ったか、という本でも書きゃあ売れるかも。てめえのアイデンティティを根こそぎボロボロにして地に落ちて初めてスギ氏に対する謝罪になるし、自分に対する罪の意識が落とせるっていうもんだ。芸術家とは魂を洗う職業ではないのか?自らの心のうちを表現する職業ではないのか?せめてこっそりフェイドアウトできればなぁ、なんて考えているようじゃ芸術家とは言えません。このまま失意のうちに消えるよりもそれくらいやってみろってんだ。大変だろうけどね。己の魂を金に替えるというのはそもそも大変な職業だよ。

2006年06月05日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

01-02-05 (月)


お酒を飲んだ次の日は、体調をくずすせいもあって気持ちの落ち込むことが多い。が、今回は金曜に飲んで以来どうにも気持ちの落ち込みが長い。仕事は時間的に厳しいこともあって進んでいるのだが、明るい気持ちになってくれない。沢山の人が虚無的な気持ちを抱えて生きているのだろうけど、これはたまらんな。
 長く人といると疲れてしまうし、長く一人でいると淋しくなってくるし。
 人はこうと決めた道をまっすぐ進むのではなく、こっちに揺れあっちに揺れして生きていくのだろうな。いろんな局面で振り子が揺れている。

2006年06月04日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

04-08-14 YO-TSU- mixi日記より

仕事の合間に オレ
立ち上がりかけたら 折れ
これは世間でよく言う ぎっくり腰
YO-YO-YO-腰痛
YO-YO-YO-どーなのよー
腰が伸びない 何もできない 
歩けない 座れない どーしよもない
困った 止まった 考えた 電話した
ウチの一階 鍼灸院
マエに一回 整骨院
同じ東洋の療法 受けてみよー
YO-YO-YO-腰痛
YO-YO-YO-どーなのよー

つー訳でマンション一階にある鍼灸院で
針を2日ばかりやってもらったらかなり回復。
なんか不思議。
手足先に針を4本刺しただけ。
2日目は膝内側も加わって6本。
体どこも触られてないし、ただじっとしてるだけなのに。

I Wonder
Like A Thunder
It’s Magic
Not a Tragic
But It’s A Real Thing
Our Fresh Have Everything

*で近頃また腰が重い。1階の鍼灸院は引っ越していなくなっちゃったし、近くの鍼灸院に行ったけど今ひとつすっきりしない。で以前通っていた整骨院に行ったらかなり楽になった。頼りにしてたんだけど吉祥寺から笹塚に先生が引越しちゃったもんだから。
 ストレスが原因で、腰じゃなく頭の方が詰まっちゃって気のめぐりがわるくなってる、と言われる。そうだよなぁ。近頃よくブチ切れてるもんなぁ。いかんいかん。



2006年06月03日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’88-01-08 伊丹十三


TV「徹子の部屋」で伊丹十三氏が、世の中の価値基準(永遠のもの)が神からお金に変わってしまった、という話をしていた。よい学校へ行ってよい会社へ入って、と親が教える基準が結局はお金であるということ。日本社会がお金を基準として共同幻想が成り立っているからお金抜きの人間関係が成り立たなくなっている。親の社会がそうなのだから子供は自然とお金が第一(=神)として生きることになってしまう。子供にとって神様はいないのではなく、お金が神様なのだ。
 現代日本社会の構造がお金を神として成り立っているのだから、教育もなにも荒廃してしまうのは当たりまえと言える。生きる価値や名誉が全てお金に換算される。
もっともっと建前社会がくずれ、お金こそが神だという社会になって初めてはっきりと別の社会が見えてくるんでしょう。世の中は回ってますから。

*近頃のプチ株ブームやIT企業を見ているとようやく神(=お金)の正体が見えてきているように思えるけどまだまだこんなもんじゃないんだろうな。神に裏切られ絶望をさ迷わないと幻想は落ちていかない。そうなるまではどこまでも「今」にしがみつこうとする。

2006年06月01日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

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