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アーカイブ2 キャロル(1)

キャロルを初めてテレビで観たのは’73年6月だったように思う。内田裕也の司会からキャロルが演奏を始めた途端の盛り上がり方が素晴らしく、おおっ、と思わず唸ってテレビに釘付けになった。有名なリブヤングの放送は’72年だからこれは再放送なのか、もしくは別の番組。次の日早速プレイガイドに行き、近々名古屋でライブがないものかと探したらその月に雲竜ホールという所で行われるライブのチケットが発売中だった。
 その雲竜ホールというのは、名古屋駅近くのビルの一画にあるカクテルラウンジというかディスコですらないただのグレーの絨毯の敷き詰められた大広間で、ろくに照明もなくステージの高さも20センチくらいの段差があるだけの狭いステージだ。当日、客は50人もいなかったように思う、広い大広間の前の方に固まってる感じ。キャロルが出てくるまでは床に座っていたのだけど、黒の革ジャンにリーゼントの4人組が登場してから約1時間、集まった客は全員狂ったように踊って大騒ぎになった。まだ永ちゃんとかジョニーとかその頃は名前も知らなかったけどホントかっこ良かった。リードボーカルをとっていたのは主にジョニーだった。汗だくになってあの甘い声でリードボーカルをとるジョニー。一番前にいた僕は後ろから押されてマイクスタンドにしがみついていた。目の前に永ちゃんがつばを飛ばして強烈な声でハモっていた。終わってからもしばらくはボケーッとして突っ立っていた。生のライブで感激した初めての体験だった。
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2006年07月27日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

アーカイブ1 ’74-8「ワン・ステップ・フェスティバル」

8月4日から10日まで 福島県郡山陸上競技場
当時名古屋に住んでいたので、3日の夜中に東京に着き確か朝方の電車で郡山に向かう予定だった。蒸し暑い夜を、始発を待つ人達と駅のシャッターの外でごろ寝。が、真夜中に地震があり、その電車は大幅に出発が遅れ郡山に着いたのは昼過ぎだった。郡山駅前にはキャンプ場案内と民宿案内が出ていて、民宿を1週間手配。民宿の晩飯は毎晩肉野菜炒めのようなものだった記憶がある。途中でいやになって外食でラーメン食ったりして帰った。長旅で疲れていたが、民宿に荷物を置いてすぐに会場へ。
08-04 トリは沢田研二と井上尭之バンド。他にイエロー、サンハウス、ウェストロードブルースバンド、それにクリス・クリストファーソンetc。広い会場のグラウンドに客の入りは3分の1くらいだったか。ジュリーのド派手なメイクと衣裳が印象に残る。イエローも良かった。
08-05 ダウンタウンブギウギバンド、四人囃子、クリエイション、つのだひろとスペースバンドetc。DTBWBはまだ「スモーキンブギ」を出す前で、白いツナギ姿でロックンロール、はキャロルと同じく新鮮だった。
08-06 中日でコンサートはお休み。猪苗代湖へ泳ぎに行く。
08-07 記載なし。雨?民宿で一日ぐったりしてたような気がする。
08-08 トリはミッキー吉野グループ。他にはちみつぱい、センチメンタルシティロマンス、シュガーベイブ、南正人、外道etc。アメリカ帰りというミッキーのグループは、そのミッキーを中心としたファンキーな長めの曲が多く他とは一線を画していた。ゴダイゴの前身。はちみつぱいは駒沢裕城のスティールギターのゆるい音が気持ち良かった。3人組グループ「外道」のお騒がせロックはこの日一番のノリ。うまいんだか下手なんだか、でもとっても楽しませてくれた。
08-09 確かトリはゴールデンカップス。他にかまやつ、上田正樹とサウストゥサウス、めんたんぴん、オリジナル・ザ・ディラン(大塚まさじ、西岡恭三)etc
08-10 トリは小野洋子とプラスティック・オノ・スーパー・バンド(スティーヴ・ガッドやブレッカーズ等今思えば贅沢なメンバー)。他にサディスティック・ミカ・バンド、内田裕也と1815ロックンロールバンド(この当時は確かクリエイション)、キャロル。ミカバンドとキャロルがこのコンサートの一番のお目当て。ミカバンドは名作「黒船」が出る直前。キャロルは絶頂期で一番人気。ヘリコプターでグラウンドに降りる、というのを内田裕也が突っぱねたという逸話が残っている。永ちゃんがパンッという撃たれた音で退場、という演出だった。ビックリした。最終日だけあってこの日が一番客の入りも多かった。当時の野外コンサートは椅子も仕切りもなにもない形のものが多く、この日は最初に座った場所からどんどん前の方に詰めさせられた記憶がある。水分補給とかどうしてたのかなぁ。
 これだけの顔ぶれを集めて通し券が4800円。当時としても破格。こんな空前絶後のコンサートが、学祭の延長のノリで開催されたのは実行委員会と内田裕也の苦労と熱意以外の何物でもない。当時はまだロックはマイナーな音楽だったんだから。

2006年07月26日 未分類 トラックバック:1 コメント:0

’96-05-06 シャネル

早川文庫「ココ・シャネルの秘密/マルセル・ヘードリッヒ」読了。
この本の著者はあまりにも自分を出し過ぎている。鬱陶しくなるほどだ。自分と対比させることでシャネルという人物の核心に迫る、というより単にシャネルに対する嫉妬心のようなものを大きく感じてしまう。こんな女が、って書き方なんだよな。シャネルを人間として自分より一段低い位置におとしめてみている。なんと愚かな人間観察だろう。
想像もできないプレッシャーの下に置かれた人間が何を考え何をやらかすのか、そんなもん本人にだってわからなかったりするんだよきっと。そういうことを想像して人物像を描いていくのが伝記作家ってもんじゃないのかなぁ。
誰にも欠点はあるし、それがなにか大きなことを成し遂げた人の場合、とくに大きな風変わりな欠点でもあったりするのだが、それ故にこそ天才は存在するのであって、そういう裏腹な真実が著者には見えない。私だってシャネルと同じような好運に恵まれたらシャネルくらいにはなれる、と著者が思っている節があるが、もちろんなれるわけがない。狂気を持たないクリエイターなどそこそこにはなれても超一流にはなれない。
シャネルのバカな面を笑うなら著者はもっと大馬鹿だ。

2006年07月24日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’96-03-12「メシア・ストーンズ/アーヴィング・ベニング」

 横尾さんの装丁が良かったのと片岡義男の訳、それに角川春樹の復帰仕事、というので読んでみたけれど、今ひとつピンとこない物語だった。
 メシア復活のしるし、の物語。話を急ぎすぎてイージーな出会いが多すぎるし、なんの苦労もなしに目的に向かって一直線。ドラマ性ゼロ。しらけちゃうよ。ハリウッド映画の脚本みたいなもので、映像にすればもっと面白く観られるだろうけど。
 メシア・ストーンズを手に入れたからってメシアの出現を待っているだけのお話なんて何も語っていないのと変わらない。メシアの出現を期待してたって、いくらその兆候が現れたって、現れるんだか現れないんだか。現れたらなにかが変わる、なんて。奇蹟に酔うなよバカヤロー。メシアってものを無自覚に賛美しちゃってるところがそもそも気に入らないな。大いなる恐怖の出現でないと誰が言える?
 あらゆる宗教を超えた真理と語っていても、結局はキリスト教的世界の実現というキリスト教の神の概念に収斂されていっちゃうところがこの作家の世界の限界。神という概念が生まれるはるか以前から宇宙は存在してるし、宇宙は混沌から始まったという。神であれその混沌の中から生まれてきた。その宇宙の中のちっぽけな存在である人間がこしらえた神が語る真理など、例え真理であってもそれは真理の断片に違いない。人間が理解している世界なんてたかが知れている。ちっちゃい世界だなぁ。

2006年07月20日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

01-07-09ウィンブルドン ネット日記より


ウィンブルドン男子決勝を観る。優勝したイワニセビッチが真っ先に観客席の父親のところに向かっていったのを見て、う~ん、日本じゃこうはすんなりといかせてもらえないんだろうなぁ、きっと観客が選手を引っ張り腕をつかみ握手を求めるわで途中で怒り出して観客とけんかになっちゃうんじゃないか、なんて心配をしてしまう。
 そういえばミック・ジャガーの単独来日公演のときも客席中央に現れたミックが通路からステージに向かうまでの間にもみくちゃにされてちっとも前に進まなかったな。ようやくステージに戻ったミックがあきれた顔してたっけ。
 15年前のベストテンの公開ステージではとんねるずが同じことをやって石橋がぶっちぎれてしまい、「てめえら最低だー!!」と怒鳴って「雨の西麻布」を最初から最後まで絶叫してたっけ。
自己中とか言われるけどきっとそれって日本人体質なんだろな。相手が何をしようとしてるのかわかっててもそれよりは自分の目的の方が大事なんだ。
日本人体質ってなんだろう?付和雷同、何でも右にならえ、でしょ、熱しやすく冷めやすい、でしょ、慇懃無礼、独創性はないけど物まね上手、、、、う~ん、いいとこいっぱいあるはずなのに悪いとこしか見えてこない。オレも日本人体質だな。

2006年07月19日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’96-03-04 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 *バグワンシュリラジニーシ(1931~1990) インドの導師(グルー)。晩年オショーと改名。

今、バグワンの講和録やバグワンについて書かれたものを読むと、他のグルー以上に生きている人間そのものを感じる。バグワンの講和録を読み、会いに行こうと’79年にインドへ行って毎日講話を聞いたりしてきてから、長い間僕にとってグルーはグルーであり人間以上の存在だった。でも、バグワンも一人の人間だったのだ、と理解することで僕の中で初めて宗教や人間に対する考えが少し変わった。
宗教の、教祖を神のようにあがめてしまう事で、見えるものも見えなくなってしまう。その人が人間として生きてきた、考えてきたことの過程がみえなくなってしまう。一人の人間として教祖を見ることの方が大切なのではないだろうか。
悟りを開く、というがそれで人間は神になるわけではない。悟りを開こうがなにしようが人間は最後まで完全にはなれない。食うために働くこと、愛すること、欲情すること、思考すること、行動すること、等々それらの間で人は揺れ動いていく。どんなに素晴らしいひらめきや数々の体験からくる鋭い洞察があろうと人は不完全な生き物である。人間である以上過ちを犯してしまう部分が必ずどこかに残ってしまう。

-03-06
「ラジニーシ・堕ちた神/ヒュー・ミルン」読了。単なる暴露本かと思ったが、この著者は本当にバグワンが好きで好きで心配で、神様じゃなく一人の偉大な人間の失墜を、自分の体験とともに綴った、正に身を切るような記録として泣かされた。
あぁそうなんだ。オレもバグワンのことが本当に好きだったんだ。オショーなんて言い馴れない言葉でバグワンのことをよべないよォ。
バグワンの身近にいた者にしか書けないグルーの実態は、大きな影響を自分の考えにもたらした。全ての人間は人間としての限界を超えていくことはできない。キリストや仏陀でさえもそうだと僕は思う。人間だからこそ人間を魅きつける。すごいところだけを取り上げて人を神格化してはいけない。
例えばジョン・レノンも「愛と平和の人」なんて祭り上げられてるけれど、そういう側面も持ったロッカーだった、ということの方がずっと大切なことのように思う。
教祖や先生やアイドルや恋人、なんであれ他人を盲目的に祭り上げてはいけない。人間としての弱い部分、醜い部分があって当たり前。それを許さない環境作りをしてはいけない。自分も他人も。さもなければ醜い部分も正当化してしまうことになる。
同じように、回りの人間を勝手にこの人はこういう人、って決め付けてはいけない。あなたの知らない部分を持っていて当然。自分だってそうでしょ?持ち上げられて困惑することだってある。けなされてそれが全然的を得てなくてくさる事だってあるでしょ?

2006年07月15日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

01-07-07夏バテ解消にはドレッシングが一番 ネット日記より


こう暑いと冷たいもの以外はなんにも食べる気がしなくなってしまうが、そういう時にサラダが効率のいい食べ物だと今年気づいた。
 レタスやキャベツの葉っぱものにピーマン、トマト、人参、キュウリ、野菜だけじゃ物足りないと思ったら、ゆで卵をプラスして、ハムやベーコンをくわえるのもいいな。
肝心なのはドレッシングだ。マヨネーズもいいけれど、リキッドタイプのドレッシングの方が食べやすいしどうやら腹持ちもいいようだ。フライド・オニオンを加えるともっとおいしくなる。
必ずしもお米を食べる必要はないけれど、お米の糖分は脳にいいんだよなあ。
酢ですよ、酢。らーめんの汁にも最後飲み干すときに酢を加えるといい、って荻窪「春木屋」本店の奥さんがいってたし。もっともこってりらーめんじゃ合わないだろうけど。
一日2400キロカロリーを栄養も考えて摂取するには夏はサラダが一番。
ん?2400キロカロリーということは、1時間に100キロカロリー消費するということか?そういえばカップヌードルは平均300キロカロリーのものが多いけど食べてから3時間ほどするとまた減ってくるよなあ。計算は合っている。
毎日サラダ。サラダで元気に過ごしましょ。冷房病にも野菜がいいそうです。とはいえ最近の野菜は栄養価が低くて沢山摂る必要があるとか。
やっぱドレッシングですよドレッシング。
まてよ・・・、酢に米とくれば寿司があるじゃないか。やっぱ寿司が一番か?

2006年07月14日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’96-03-08 「空海の風景」

ほぼ半年ちびちびと読み続けてきた。実に興味深く読むことができたが、司馬遼太郎の記述では官能性が希薄で薄く膜をかけたような描写に終始している。空海の説く密教には何故か色濃く官能性が裏に潜んでいるように思えるのだが。エロの希薄な人間にあのような世界観が生まれるとは思えないのだが。曼荼羅こそエロが凝縮されているように思えるのだが。重要なテーマであるはずの「艶/エロ」というものを描くにふさわしい人に空海を書いてもらいたいな。
男と女の恋愛だけが官能ではないだろう。音楽にひと際感じる官能の世界、とか言葉で説明できない現象そのものに宿っている官能の美、というものに何か根源的な世界の秘密がある。ような気がする。愛とか恋とか、ひとがもっとも迷う事柄にこそもっとも大切なことが潜んでいる。ような気がする。ひとがそのようなものに涙するのはなぜだろう。
光の中に影はない。光をさえぎるものがあって初めて影はできる。光をさえぎる存在そのものが、光も受ければ影も作り出す。この世は太陽の周りを回る惑星のようなものだ。

2006年07月11日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

'95-09 レッドマンの始まり

’95-08-25
 言葉には裏の意味がある、とこの頃思うようになってきた。
「人は外見じゃない」と言う時、ひとは外見で判断されている裏側がある。外見ばかり良くても中味はカラッポなんて話はザラにある。逆にいくら中味が良くても外見が悪くて損をしている人もいっぱいいるに違いない。
 真理は逆説なのではないだろうか?自分が他人を見てそこに醜さを見つけるのは、実はそこに自分自身の醜さを見ているのではないか?
「人は外見ではない」というのは相手の問題ではなく、自分の問題であって「人を外見で判断しちゃぁいけないよ」とあっちから問いかけられているわけでもあります。
人を外見や年齢、仕事で判断してしまうのは愚かな事だと思う。それは逆に自分をそうしたもので規定してるってことでもある。うーん、わかってるつもりだったんだけどなぁ。全然わかってねぇなぁ。外見を変える事で何かが変わるんだろうか?

‘95-09-13
 「私」の世界を変えられるのは「私」だけなのだ。「私」の世界を変えない限り「私」は絶対変わらないし、世界も変わらない。
「一人一人が自覚を持って」っていう言葉は正しいけれど、それを言う人がその人の世界を自覚を持って変えない限りその言葉はむなしく響くだけだ。その事がわからない人に限ってそういう事を言う。そんな人って自分に酔ってるだけだ。自分は正しい、と放っぽり出して逃げ出す。
 外見を変えることから自分自身を変えていけないものだろうか?
 
-09-19
 美容院で頭髪を真っ赤に染めてもらう。頭を染めることで気分は変わるんだろうか?それで何かが変わるんだろうか?いや、変えていくキッカケにしたいんだ。40で頭染めるバカ。

2006年07月09日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’95-10 高野山(2)

’95-10-15(日)
 午前中は金剛峯寺、霊宝館を見て回る。密教系の仏像は力強く迫力のあるものが多くて圧倒される。実にいい!まともに歩けないので休み休み。いとうさんに悩み相談などしながら。
 午後は高野山大学の学祭。みうら、いとう、安齋3人のスライド&トークショーに、ステージの反対側に置かれた椅子にただ座って見ているだけ。真っ赤な頭に難波で買った真っ赤なジャンパーと靴下でレッドマンと呼ばれる男。オレはいったい誰だ?来ている人たちは最後まで誰だかわからなかったろう。オレだってなんでそんなとこに座っているのかわからない。
 夜は学生による打ち上げ。その髪はどうやって染めたんですか、と坊主頭の学生の問うのがおかしい。いつか染める気でいるのか?夜中はみんなでブラックジャックを朝方まで。

-10-16(月)
 午前中は弘法大師御廟等見て回る。大師様は生きているという。オレも生きてると思うな。午後帰京。帰りの新幹線の中で、特別出演ということでみんなからのカンパいただく。自腹で勝手に付いて来ている中ありがたいことです。

2006年07月07日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’95-10 高野山(1)

’95-10-12(木)
 バイクで11t.トラックの脇をすり抜けようとしたところを馬鹿でかいクラクションの音と幅寄せをされ、電柱にラリアートをするような形で体だけが残りバイクが吹っ飛んだ。追い越そうとしてスピードを上げた途端だったのでブレーキに頭が回らなかったんだろう。骨が折れたのかどうかわからなかったけど体は動かせるし、バイクを起こしてとりあえず仕事場も近いのでとにかく乗って帰る。
 様子見でちょっと寝て、起きたら左半身が鈍痛。痛み具合から骨が折れたりひびが入っているのじゃなさそうだ。けれど足首が痛むので、足をひきずりながら近くの薬局まで湿布薬を買いに行く。

-10-13(金)
一夜明けて筋肉の痛みはあるもののどうやら骨折やひびはなさそうだ。左腕全体の筋肉痛と左足打撲と捻挫、太もものスリ傷。大事にいたらなくて良かった。病院へは行かず湿布薬を貼って仕事する。
 夜中みうらからTEL.。歩けないんだよ、と言いながらマンションの下まで降りてタクシーを拾い新宿の呑み屋まで。トモロヲさんと二人で飲んでいた。
「明日高野山大学で学祭出るから二人も一緒に行こうよ」とみうら。
一旦帰ったら出て来ないから、とみうら事務所で朝まで仮眠。トモロヲさんは帰っていった。普通帰るわな。どうかしてるよオレ。

-10-14(土)
 朝10時の新幹線。東京駅へ。車内にはいとうせいこう、安齋肇、みうら事務所の臼井、沢崎、せいこう事務所の黒田(敬省略)が先に乗って待っていた。僕は飛び込みで席もないので、空いた席を探して別の車両へ。座った席は運良く大阪まで誰も乗らない席だった。隣のおっさんに酒をもらったりする。
 南海電車の乗り換えする難波でいとうさんに付き合ってもらって着替えの服など買う。仕事放ったらかして着の身着のまま、歩くつもりもなかったのでサンダル履き。なんたるお気楽道中だ。
 そうして空海の開いた高野山へ!

*半月ほど前に髪を真っ赤に染め、新幹線でいとうさんに「レッドマンだ」と呼ばれたのがレッドマンという呼び名の始まりだった。

2006年07月05日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’96-02-11 司馬遼太郎

 去年の秋から司馬遼太郎の「空海の風景」を読んでいるが、資料として少しずつ読んできたこの本も近頃は俄然面白くなってきた。天才中の天才に関する記述を読み進めるうちに、じわじわと空海像が浮かび上がってきて多々興味が沸き起こってくる。人間を生きる、という悩みというか疑問に対して空海の生き方はなんと魅力的か。もっともこれは司馬遼太郎の想像する空海ではあるが。
 人生を魅力的に生きるとはどういう事だろう。人として生まれて、ただ生きてるだけではつまらない。何を考えどう生きるのか。魅力的に生きるというのはさらに難題である。
 近頃思っていること。人生はバランスである。真ん中を行けということではなく。右に行ったり左に行ったりフラフラさまよいながら、いろんなものを発見して少しずつ人の在り方を探っていくということ。あとで平均して真ん中くらいになるようになれば御の字だ。人間というカテゴリーの中に入っているものの振幅の広さには驚くばかりである。
 世間の問題の多くは自分をなくすことで大局が見えてくることばかりだ。自分中心に物事を考えていくと問題がこじれていくばかりだ。とはいえ自分をなくす、って言うは易し実行に移すのはむずかしい。自分本位って考え方もときには必要なこともあるし。こうだ、と言い切れるものはない。臨機応変にやらなきゃいけない。これがまたむずかしい。わかったと思ったらすぐまたわかんなくなる。一生安心って気持ちにはなれないのかな。

-02-17
 自分というものを捨てた時に初めて活路が開けてくるような、そんな仏教みたいな考えが出てくるが、人は簡単に欲望は捨てられないし、「無心」ってやつは世間でよく使われるような意味とは違って、もっともっとエネルギーのいる力強い世界のことを言っているのではないのだろうか。

2006年07月04日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

05-10-06 夢枕獏

 「沙門空海唐の国にて鬼と宴す/夢枕獏」全4巻読了。妖しの世界を空海と橘逸勢という二人の人間ドラマと共に描き進めていくその手腕には恐れ入る。人物が生き生きとしている。特に空海の人物像がいい。これは僕にとって理想の物語世界だ。
 18年の歳月をかけて書かれたこの物語はその大半が約半年のあいだに起こった出来事だ。僕は歴史上の人物では空海に最も興味があっていろいろ読んでみているが、知識と教養、そして想像力を駆使してこれだけの魅力ある空海像を描きあげた夢枕獏の才には脱帽です。

2006年07月04日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’96-02-25 Peter Max(2)

 新生TheBand/Jerichoのアルバムジャケはピーターマックスだった。2年前に出たものだが、これこそLPで欲しくて欲しくて中味よりジャケ、ずっと探していたが見当たらない。忘れかけてた今日中古でCDを見かけたので買っておくことにする。
 有名なビッグピンクの写真をオーバーペインティングした、いかにもPマックスなジャケ。で中味もいい出来でRロバートソン抜きでもTheBandはTheBandだった。いいサウンド、いいヴォーカル、せつない歌詞だ。しみるなぁ。

2006年07月03日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’76-07-10 Peter Max

 心斎橋パルコで「アメリカ建国200年記念ピーターマックス展」を観る。
’60年代サイケデリックを象徴するポップアーチストとでもいえばいいのか、全盛期の’60年代後半に来日した時の様子が当時少年マガジンに掲載されその色と形の鮮やかさにいっぺんで虜にさせられた。’70年代に入ってからは暫く隠遁生活に入ってしまったという、まったくその名を聴くことはなくなってしまっていた。それがいきなりの復活だ。シルクや石版画で刷られたポスターが主だった作品はアクリルや油絵に変わっていた。ポップなイメージのまま荒々しい筆のタッチで描かれた新作はもう一度心を揺さぶるには充分だった。

’89-12-07
 朝日新聞にピーターマックスの来日インタビューが載っていて、新宿センタービル小田急アートコレクションギャラリーでピーターマックスの新作展を観る。迷ったが1メートル以上もの大きな作品を購入。70万円!こんな高いもの買ったの初めて。

’02-07-06
 朝7時前、異常なラップ音で目が覚める。異常なラップ音の出所は3階からの水漏れ音だった。天井から落ちる滴、壁を伝う水、畳のヘリからしみ込んでいる!急いで管理会社にTelし3階へ。新型洗濯機の故障だという。
 被害は壁にかけてあったピーターマックスの額内に染み込んだ水、上掛け布団、ダンボールに入ったCD。幸い今日は天気も良く風もあり、乾燥させるには丁度良いがなんてこった。

*後日額の修理代は保険会社に出してもらったが、その時に調べてみたら最早絵そのものには10分の1の価値くらいしかない。まさしくバブル時の買物。ま、元々売るつもりはないし僕の永遠のアイドルだからそれはかまわないのだけどなんか悲しいね。ヒロ山形やラッセンと同じ扱いってのが。悲しいね。
0.jpg

2006年07月02日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

06-06-24 泉昌之の終わり

 思えば随分長いこと続けたものだ。久住と美学校で知り合って29年、泉昌之でデビューしてからももう26年。こんなに長いこと続けられたのも久住昌之という才能に鼓舞され続けてきたからだ。久住と出会わなければそもそも僕は漫画家にはなっていなかっただろう。久住のおかげで僕はここまで続けてこられたし、漫画だけではなく人間というものを考える意味でいろんなことを久住から学んだ。そのことはとても感謝している。が、それももうおしまいだ。彼は僕の考える常識の外に暮らしている。僕達はそもそも水と油だ。混ざり合わないままに共存してきた。それが作品世界という中で1+1=無限大という効果を出してきたと思う。久住の漫画の最初の読者が僕で泉昌之の最初の読者が久住だったのだ。僕達は二人で遊んでいただけだ。自分ひとりではとても思いつかない世界を久住が提示してきて、僕はその面白さに負けないような絵を描こう、久住があっと驚く絵にしてやろう、とそれこそ必死で描き続けた。
最初出来上がった「夜行」を二人で、数件の出版社に持ち込んだが反応はいまひとつだった。こんな面白い漫画の価値がわからないなんて!それから美学校の先輩でもあり「ガロ」の元編集長でもあった南伸坊さんに見せに行った。南さんは面白がってくれたが「長井さん(社長)は原作つきが好きじゃないから、泉くんが描いたことにして持っていけばいい。久住もそれでいいだろ?」と言われ、帰りの電車の中で久住から「泉昌之」を提案された。その時はまさかこんなに続くことになるとは夢にも思わず、軽い気持ちでそれもいいね、となったのだ。なんたって僕は漫画家になろうなんて思ってなくて僕のアイドルは横尾さんやピーターマックスで、美学校に行くまでは「ガロ」すら読んでいなかった。
そうして「夜行」は長井さんに認められ「ガロ/’81-1月号」に掲載された。最初の単行本は’83-5月に「かっこいいスキヤキ」。
「ダンドリくん」が終わる頃、「もう泉昌之でやりたいことはやりつくしてしまった」と久住が最近のネットインタビューで答えているように僕達はもうバラバラだった。
二人でやれることはまだまだあるはずだ、と取材の帰り等に酒を飲みつつ何度も久住の尻を叩いたがそれは久住には伝わらなかったみたいだ。そうしてここ1,2年は気力だけで描き続けた。やる気があるんだかないんだかわからない原作、それも締め切りギリギリの綱渡り。オレに漫画をちゃんと描かせろ!漫画の内容ではなく外側で苦しむのはもう沢山だ。もう限界だよ。
遊びの時間は終わった。久住という面白巨人を前に僕は長い間もがいていた。もがき続けてきた、と言ってもいい。自分に出来ることと出来ないこと、もがき続けてやっと出口が見えてきた。まだまだ自分にはやりたいことが沢山ある。僕の仕事は漫画を描くことだ。描き続けることでしか答えは見えてこない。

2006年07月01日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

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