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06-12-12 ビートルズ 「LOVE」(mixi日記より)

まったく期待はしていなかったけど、最初の15分くらいで、こりゃやりすぎだろう、って。ジョージマーティンだからなにしてもいいってもんじゃないだろう、って。
でもHELPから風向きが変わってきた。そうしてだんだん慣れてくる。While My Guitarのオーケストラアレンジには感心。そこからラストまでの流れには思わず引き込まれてしまう。
通して聴き終わった後の満腹感。これはいいや。初めて聴くビートルズがこれだったら、ボクだったらのめりこんじゃうね。ロックンロールバンドとしての初期もいいけれど、ボクが好きなのはRubberSoul以後の中期後期のビートルズ。「LOVE」はその辺りを中心としたコンセプトアルバムとして実に良く出来ている。
いや、よくここまでうまくまとめあげたもんだ。音のコラージュ。となればジャケットも本来なら横尾さんにやって貰うのが一番ではないか、と思うが’70年代の横尾さんでなければムリだろうな。あの熱に浮かされたような作風は当時の時代背景あってこその産物なのだろう。
‘70年代にボクも熱狂したインドは、ここではないどこか、という空想の場所であって現実のインドではない。そんな幻想のインドが頂点に達したのが’70年代という時代だった。
ともあれ次代に残すビートルズのアルバムとしては最良の一枚だと思う。新譜という位置づけはイヤらしいけど。
 なお、ビームの今月号(’07-1月号)巻末にDJ. TKDの評が載っている。そうそうマッシュアップというのだな。短いがボクの思うところと同じで、いい文章です。読んでみて下さい。
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2008年02月28日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

02-10-16 横尾忠則「森羅万象」展


現代美術館。横尾さんのこれまでの集大成。神秘な世界から、日常の風景、エロ、ナンセンス、パロデイ、コマーシャル、生と死に至るまで、一人の人間の中にある膨大なとりとめもない世界を全て隠さずに表に引き出し、作品に描き出そうとする、その強い意志と実行力。凄いエネルギーだ。テレビや文章からではわからない、いや、会ってもおそらくわからないだろう横尾という人間が全て作品に表れている。
グラフィック・デザイナーとして、いやそれ以上に若者のカリスマとして孤高の存在だった横尾さんが、’80年に画家宣言をして以来ひたすら描き続けた作品の数々。それは正に巨人と呼ぶにふさわしい圧倒的な存在感だ。また観に行こう。27日まで。
同時代に生きている幸せを横尾忠則にこそ感じる。素晴らしい!

2008年02月23日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

02-04-01 マイケル・ジャクソン

 このところM・J一辺倒。新作の「Invincible」、5年前の「Blood On The Dance Floor」、7年前の「History」と全3作4枚を一週間とっかえひっかえ聴いている。
 今年に入って邦楽の新作ばかり買っていたのだけど、格の違い、とでもいうか、その隅々にまで及ぶ気の配り方、詩、曲、アレンジに至るまで、あまりにも比べようのない凄さで、オレにはマイケルの私生活、人生がどういうものであるのかは知りようがないけれど、その作品には年齢の重み、貫禄すら感じさせる。
邦楽の新作はアイデア倒れというか、音も楽曲もアイデアほどには面白いものがなく、というよりプロジューサーやレコード会社が音楽をなめてるような、手間隙かけずにやれ売れこれやれと創り出す必然性のなさすぎるものばかり売れたもの勝ちとばかりに送り出している、そんな印象を持ってしまう。そんな中ではオザケンの「エクレクティック」だけがずば抜けて出来が良かった。いろいろあるんでしょうけど、音楽を価値のあるものにするにはお金儲けには変えられない創造の苦しさ、楽しさ、素晴らしさを音でもって聴かせて欲しい。これはなにも音楽に限ったことじゃない。

2008年02月21日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

08-02-19 マルサリス


ウィントン・マルサリスが久々にスモールコンボで、それもモダン・ジャズ期のスタンダード曲のライブをやっているCDを聴いた。ウィントンは近年モダンジャズからはすっかり離れてしまって、古典芸能としてのジャズの洗い直し、とでもいった方向に行ってしまい、新しいアルバムを聴くたびに興味を削がれてしまって段々遠のいてしまっていた。このアルバムにしても2年も前に出ていたのだけど全く知らなかった。
ウィントンマルサリスの音楽はなぜ退屈なのか、という村上春樹(「意味がなければスイングはない」)の言を持ち出すまでもなく、ウィントンの演奏は達者だけれど教科書的で面白味がない。以前コルトレーンの「至上の愛」の演奏を聴いた時も、コルトレーンに感じたような切実感をウィントンの演奏からは何も感じることが出来なかった。
また教科書みたいなきちっとした面白味のない演奏をやっているのかな、どうなんだ?と半信半疑の想いで、演奏曲目に魅かれて手には取ったものの、そんなに期待したわけでもなかった。
その不安は見事に裏切られ、1曲目からゾクゾクする演奏に思わず「凄え!」と唸ってしまった。まったく凄い。「Green Chimneys」、セロニアス・モンクの「Underground」というアルバムに入っている曲で、印象的なイントロはいかにもモンク、といったフレーズで、これが1曲目というのがまず嬉しい。
最初のウィントンのソロの後半からバックで鳴っているピアノのフレーズにはゾクゾクさせられる。そのピアノのソロになってさらにそのゾクゾク感はアップする。エリック・ルイス。ウィントンは昔から実にいいピアニストを見つけてくる。初期のウィントンを支えたケニー・カークランド、マーカス・ロバーツも実に見事な指さばきで、特にマーカスは耳に残る素晴らしいプレイを残しているが、ここでのエリックも実にいい。
 ドラムスは初期のジェフ・ワッツほどの派手さはないけれど、バンドサウンドの中でうまく溶け合っている。
 ベースがニューヨーク在住の中村健吾という日本人ベーシストであるのも嬉しい。
 「What Is This Thing Called Love」のエンディングも素晴らしい。そしてラストの「2nd Line」になだれ込んで行く。バンド全員が一丸となって前へ前へと突き進んでいくそのグルーブ感たるや、’87年頃に聴いた「Standard Time vol.1」以来の興奮だ。いや、あれとは1段も2段も深化した。
これはここ2,3年内に聴いた新作ジャズアルバムの中でも最高位にランクしてもいいアルバムだ。’05年度のSJジャズディスク大賞金賞、読者投票1位というのもうなずける。遅いって、オレ。

2008年02月20日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

04-12-18 「永遠の仔/天童荒太」

 2385枚もの原稿を要した大作で、’99年のベストセラー。
 暗く閉ざされた世界に救いはあるのか。やりきれない切なさで最後まで救いといえるものは見つからない。よく描けているが、小説世界というのは、特殊な世界から人間世界の普遍を見るものではないのか?この小説からは普遍を感じることは出来なかった。というより、この作家の感じる世界に自分は「そうだ」という共感を持つことが出来ない。ここには「特殊」はあっても「普遍」はない。傷ついた、傷ついた、って…うっせいやい!!!
人は誰も自分自身の過去から世界を見渡しているが、世界はそこにはなくその外側にある。自分の知っている世界からだけ、それが全てだと思い込んでナメてかかっていると、その見方の甘さがそのまま自分に跳ね返ってくる。
誰もがみな傷ついた過去を持っているとしても、そこからは見えない世界も確かにある。それを知りたい、という想いが明日へのかすかな望みを生み出してくれるのじゃないだろうか。

2008年02月17日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

08-01-10 文庫本「毛沢東の私生活/リ・チスイ」上下2冊刊

毛沢東の死まで20年以上に渡って、主治医としてその傍らでこの歴史的人物の実態を見続けてきた著者による驚くべき大著である。
その内容たるや、うんざりするほどの権力争いの実態で、常に栄光か追放かどちらかしかない中国国家の一党独裁政権の内部の、共産主義の理想とはほど遠い恐怖の実態が描かれる。
いや、それ以上に毛沢東の日常生活が細かに書かれているところがこの本の一番の価値あるところで、70を過ぎてなお衰えぬ精力、その女達による主権争い、特に江青婦人の無茶ぶりが凄い。読んでいて、これが権力上層部で起こっていることなのか、どんな小さなことでも無限大に拡大解釈して相手をおとしめていく、驚きと恐怖の連続だ。
それは小さな島国で暮らす日本人にはなかなか理解できない世界だが、これが大陸という言葉も顔立ちも習慣すらも違う大きな土地で暮らす人たちの人間観で、むしろ日本の常識の方が異常なのかもしれない。お人よし日本人はこのままだと中国や欧米に飲み込まれてしまうかもしれない。大陸の老獪さは一筋縄ではいかない。
この本の著者は「私が殺されるようなことがあってもこの本は永久に生き続けるだろう」という言葉を残して発売の3ヵ月後に浴室で遺体となって発見された。

2008年02月15日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

07-08-14 「カラマーゾフの兄弟」

キリスト教の教えを中心に据える宗教小説で世界でも日本でも絶大なる愛読者を持つドストエフスキー。が、世界の在り方、人間の在り方はキリスト教では語り尽くせない、という想いがあり、それ故この小説に限界を感じてしまう。今となってはこの小説が生きるよすがと成り得るのかという疑問も感じる。
不自然な展開も多いし、ゾシマ長老の改心一つ取っても唐突でムリがある。登場人物の中で不自然さをまぬがれているのは一人アリョーシャのみで、それとても感情移入して追いかける気持ちにはなれない。いったいこの小説のどこが世界中の人たちを引き付けるのだろう?昔読んだ「罪と罰」も主人公の言い訳ばかりでうんざりしてしまった記憶がある。

作家にとって、究極のテーマは世界と人間の在り方で、それは特定の宗教を下敷きにして描かれるべきものではない。何故なら宗教以前にも人間は存在し、その在り方を思索してきただろうからだ。キリスト教だけが人間を救うわけではないし、例えそこに理想を見つけてもそれが全ての人に当てはまるわけではない。
キリスト教にも闇がある。おそらく真理の世界とは光そのもので、そこに闇はない。闇を作るのは光そのものではなく、光の当たった対象でしかない。
宗教もいわば対症療法で、根本的な真理とはいえない。作家が目指すべきは真理の追究で、特定の宗教に救いを見出すものではない。
世界は混沌としていて執りとめがないが、その執りとめのなさは原因の多くが宗教だったりする。人は宗教を通して繋がり、宗教を通していがみ合う。特定の宗教では信じる者さえ救われない。そう思ってしまうオレは信心が足りないのだろうか。

2008年02月13日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

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