08-06-28 談志談春親子会in歌舞伎座

080628 談志

 オープニングでの2人のやりとりの後一席づつあって1時間半ほどで一部終了。
 後半は、談春が着座するやいきなり枕無しで「芝浜」を始める。場内は一気に緊張。
家元の18番中の18番をこの親子会で演ずるというのはよほどの覚悟で、これは家元の2席目はないぞ、という知らせのようでもあった。
その分まで自分の演ずる「芝浜」で満足させてみせる、という、これは談春一世一代の覚悟と賭けではなかったか。

 飲んだくれて仕事をしようとしない夫に一念発起させようとする女房、むりやり芝の浜の市場に送り出すが、夫は浜で大金の入った財布を拾ってくる。
この金に手を出してはいけない、この金に手を出してしまっては生活がダメになる、と女房はそれを隠し、夫に酒を飲ませ夢だったことにしてしまう。
 そして3年、生活も安定してきた年の暮れ、女房が汚れた財布を夫の前に差し出す。
人情噺の大作である。

 師匠譲りの筋回しと、自身の工夫による会話の回し、特に後半部分にそれが強く現れていた。
談志の体調はよほど悪かったのか、やはり1部のみで終わってしまった。
 こういう事を書くとわけしり顔の落語ファンは、談志の体調なんていいことがあるのか、いいわけばかりではないか、というだろうが、談志は体調の悪さをくちにしても、それを理由に高座を投げたりテキトーにお茶をにごしてすまそうと考えているわけでは決してない。今日ただ今現在を全身で生きよう、演じようとしている。それは高座を観にくればわかる。
それこそが落語家として生まれた談志の業であり、談志を観る、というのは一人の芸人の生き方そのものを観るということ。そんな風に思わせる芸人など今どき談志以外に何人いるだろうか。
 生き様もへったくれもない、つまらない芸を見せるくらいなら出てくるな、という意見もあるだろう。それもその通りだけれども。高座に上がっている姿を見られればそれでいい、とも思わないけれども。
 ハラハラドキドキ、談志の高座には他の噺家では味わえないスリルがあって、出来がいいんだか悪いんだか、不安定なことこのうえない。そんな談志を観ようとやってくる客の方も、そもそもちょいとイカレタ奴ばかりで。いえね、客の良し悪しなんかわかりゃしませんがね。
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2008年06月29日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

08-06-26 味噌汁

 子供のころから食卓には毎日味噌汁があった。
一人暮らしを始めた頃も味噌汁は作っていた。
勝海舟だったか、修行時代は味噌汁と漬物さえあればメシは食えるってな記述があって、オレも一汁一菜の暮らしを実践していた。
が、ここ何年かはメンド臭くなってすっかり味噌汁を作らないで済ませていた。
たまに飲むだけならインスタントでいいや。
味噌汁なしの生活が続いていたのだけど、やっぱりインスタントはもの足りない。
 今年はずっと時代小説を読んでいて、そこには当たり前のように味噌汁が登場してくる。
ちょっとまた作って見るか、とこれまで買ったことのない仙台みそを買ってきた。
江戸時代に江戸で作られていた仙台藩の味噌。とても人気があったという。
どんな味なのか興味がわいた。お湯もわいた。だしをとり、具をいれ味噌を溶かす。
コクがあって辛口。
金沢育ちで、加賀みそ、北陸のみそに長い間馴染んでいたので、どちらかといえば甘口のものが好みで、これはどうかと思ったが、これがさっぱりとしてだんだん馴染んでくる。
1パック使い終えて、以前買っていた「ゆ~きちゃんの便りはこうじみそ~、あ~ら越中日本海みそ」に戻したけど、なんだか仙台みそのすがすがしさが忘れられない。
 いずれにしても、朝の味噌汁はやっぱりいいなぁ。
インスタントはやっぱり代用品だなぁ。メンド臭くてもちゃんと作った味噌汁は、たとえ粗末な具でもレベルの違う美味さだ。
 日本海味噌も使い切り、また仙台みそを買ってきた。

2008年06月29日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

99-02-23 一期一会

 コンサートであれレコード/ CDであれ、その演奏に接するのは「一期一会」の出会いだ。コンサートでは演奏者と聴衆とのその日の調子や場の雰囲気で演奏が随分違ったものになる。
 レコード/ CDでは演奏は同じものであるのに対して、こちら側の心情、心境なんかで印象がガラリと変わってしまうことがある。大好きな演奏だと思っていてもその日の気持ちでちっとも聴く気持ちになれなかったりする。こんなつまらないもの、と思ってしまったりもする。どちらにしても2度と同じ状態で出会うということは、まずない。
 いつ聴いても同じ想いを抱くとか、裏切られることがないなんて言ってる人の話を聞くと、うらやましいなぁ、この人は心が揺れるってことないんだろうなぁ、って思ってしまう。
 落ち込んでる時に元気な歌聴いたって白々しくなるだけで、うるせいやいって思ってしまうことってないの?おまえにオレの気持ちがわかるのかって、逢ったことも話したこともないミュージシャンのジャケに向かって毒づいてしまうことってないの?オレはあります。
 こっちの気持ち次第で上げられたり下げられたり、勝手に想いを込められる方も大変だわ。

 人との出会いも一期一会だという。それって、相手がどうであれ自分の状態が2度と同じではない、という点で一期一会なのであって、自分の心の問題であることがわかる。
結局は自分の心の在り方次第で、人を受け入れたり突き放したりしている。

2008年06月28日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

07-06-23 心の支え


 現実は残酷だ。締め切り守れなくても、例え落とすことがあっても作家がちやほやされるのは単行本が売れる人だけだ。オレみたいに出しても普段は1万部も売れず初版絶版になるような中堅は今は単行本も出してもらえない。例え面白いものを作っても売れなければこの業界では生き残れない。
 それでも仕事があるうちは、それが単行本にならないようなものでも懸命に描き続けるしかない。つまらない仕事だから手を抜こうなんて考えていたらそんな仕事すら来なくなる。「巨人の星」の飛雄馬の玉拾いと同じだ。「オレは日本一の玉拾いになってやる」くらいの気持ちでやらないと気持ちが切れてしまう。う~ん、子供の頃に読んだ梶原先生の原作は大人のオレの心の支えになってるなぁ。「あしたのジョー」の「明日のために、その1」ってのも。
 一部の読者にチヤホヤされたって、例えそれが心の支えになったって生活の支えにはならない。というより、そういう読者のほとんどがファンというフィルターを通して見ているから厳しい批評が返ってこない。厳しい批評は心に痛いがバネにはなる。バネにはなるが、う~ん心に痛い。

明日のために描き続ける以外に道はない。修羅の道だなぁ。お池に帆かけてしゅら...。

2008年06月26日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

99-11-12 セザンヌ展


桜木町の横浜美術館。
セザンヌは好みに合わないのではないか、と思っていたけど、観に行って良かった。
横浜まで出かけたわりには作品数が少なく、その点では残念だったが、油彩はどれも素晴らしいものだった。
ただ、多くの作品を日本人が所有しているという点が笑えるというか、セザンヌだったら落書きでも何でもかまわないから買っちゃえ、っていう購入態度には、美術品が投機の対象にしかなっていない現状がみえて腹が立つ。
ただのくずみたいな下描きをデッサンとして展示されているのを見ると、笑いを通り越してばかばかしくなってしまう。偉大なる画家の仕事を知る上で貴重な資料である、とかなんとか言うんだろうけど、あきらかに行き過ぎ。クズはクズだ。参考にもなんにもなりゃしない。画家が発表したくない習作の中にも価値のあるものはいっぱいある。けれどもなにもかも人前にさらせばいいというものでもない。ましてやそういうものまで買いあさるヤツの気がしれない。恋は盲目ってか?
横浜美術館の展示基準、審美眼には疑問を持つ。

2008年06月24日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

99-09-01 「悪党/ロバートB・パーカー」

スペンサー・シリーズ第24作。「約束の地」や「初秋」といった名作を残したが、ここ何作かは敵対する相手や物語そのものに精彩を欠くものが多かった。今回は充分に興味をそそる敵役の殺し屋が登場して話を盛り上げる。
 パーカーの作品の魅力はなんといっても人物の造形にあって、登場人物のそれぞれが自分だけの規範を持ってい、アクション物にありがちな現実だったら死んじゃうだろうそれっていうような行動はあまりとらない。怒りに任せて物事の適切な判断を見失う、というような設定もあまり出てこない。
 怒りが爆発してクライマックスにカタルシスが訪れる、って’60年代東映任侠映画のような世界は、それはそれで面白かったけど何作も続くと飽きられてしまう。ボクは飽きる。でも相変わらずその手の作品がすごく多い。その手の作品は、他に何か面白い要素があるとかなんかない限り、読んでいてつまらないし、こっちの胸になにも響かない。そういうのに出会ってしまうと読み終えてからの空しいこと空しいこと。オレの時間を返せーって言いたくなる。
人に復讐することや、怒りを爆発させるだけでは人間関係修復の解決にはならないし、復讐も怒りもいい結果を生まない。人と人との関係は善と悪に分けられるような簡単な構造にはなっていない。だから現実はメンド臭いんだけどさぁ。メンド臭いのにメンド臭いもの読んでられっかぁ、っていうのもアリなんだけど、メンド臭いことにそのメンド臭いことを考えるのが好きって人もいて。
人が生きているというのはどういう事なのか、パーカーの作品は常に考え続けている。

2008年06月23日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

08-06-13 「隠し砦の三悪人」

マンションの外壁補修工事で、朝からうるさいうるさい五月蝿ったら。オレはうるさい所で寝るのは平気だ、と自己暗示をかけながらいつも起きる時間まで横になっていたが、自己暗示の効果もなく、ドリル音の中、朝飯を食べる。
今日は特に集中的にけたたましい音の出る作業の日のようで、これではたまらない。避難すべく映画館へ。
今日こそ「相棒」だと思ったが、吉祥寺ではちょうど「隠し砦」の次の回が始まろうとする時間だったので、電車に乗って出かけるのもかったるいのでそちらをチョイス。
 
黒澤作品のリメイクだが、劇団新感線の脚本家中島かずきが脚色、新感線の舞台のようなめくるめく展開で、黒澤とは違ったハッタリを効かせた派手なものに仕上がっているのではないか、と予想。出だしはまさにそういう感じで、阿部ちゃんも棒読み長澤もいい感じで役どころにハマってるなぁ。けれども肝心の2人の主役が演ずる役どころが、下世話な子悪人になっておらず、オリジナルにあった意地汚い根性無し2人が結局は目的を達成するというおかしさ、面白さがここでは消されている。これでは「悪人」呼ばわりできないなぁ。勝新の役どころが仲代に代わった「影武者」みたいなもんだな。
副題が「ラスト・プリンセス」だ。そうか、これは「隠し砦」のリメイクではなく、隠し砦をベースにした「スターウォーズ」をベースにしたリメイクなのか!あの二人は元の映画の設定よりC3POとR2D2をモデルにしたようだし、敵将もダースベイダー衣装で登場する。三船にやってもらいたかったというオビワンが六郎太役の阿部寛。そう考えるとルークにあたる役どころが松本潤で、これではせこい性格設定にはできないわけだ。レイア姫とのラブロマンスでなければならなかったわけだ。もっとも、ここではR2D2との二役で、恋は成就するわけにはいかないが。
最後も、デス・スターならぬ敵の砦の爆発でめでたしめでたし。どうせなら松潤は侍だったことにして決闘させても良かったのでは?もしかしてパート2を作る気か?ヨーダならぬ沢庵和尚がテッテ的に鍛える、とか。ありえないありえない。
というわけで、この映画は「隠し砦」のリメイクではなく「スターウォーズ」のリメイクとして観るのが正解。って、観た人ならみんなわかってるか。「隠れ星戦争」と呼ぶべき映画。面白かった。

昼過ぎの上映回。黒澤ファンなのか、じいさんが3人、若い男が1人、という実に寂しい客席ではあった。

2008年06月20日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

08-06-16 コクーン歌舞伎「夏祭浪花鑑」

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渋谷文化村のシアターコクーン。大阪物ということで会場には昨日まで食いだおれ人形が応援に駆けつけていたという。一足違い、残念。
 昼の部、13時半開演。が、開演前からざわざわと役者さんたちがロビーに出て来、「開演だよー」と鐘や太鼓を叩きながら会場に入って行き、さてはな~んきんた~ますだれ、俵頭の獅子舞も登場、そのまま夏祭りの舞台となって客席を沸かせ続ける。祭りの中で勘三郎演ずる九郎兵衛と町人とのケンカが始まり、それが話の出だしとなっていく。うまい演出だなぁ、いつの間にか物語りに引き込んでしまっている。串田和美の演出。
 出だしだけでなく、いたるところにそういった楽しませるための演出がなされている。会場内全体が明るかった出だしから一転して暗くなる義理の父親殺しのシーン。黒子による手持ちの照明で人物を不気味に浮かび上がらせ、本物の泥水に落とされ殺されてしまう父親役の笹野高史が、真っ暗な闇の中から全身泥一色の姿でぬっと立ち上がるシーンは息をのむ。すごいねぇ。会場前方の人にはビニール合羽、通路沿いの人にはビニールシートを配っているのを見た時は水が飛び散るシーンだろうと思っていたけど、泥とは!
 和太鼓が素晴らしい効果で、歌舞伎の鳴り物にしては素晴らしすぎる、って思ってたらこれが世界的にも知られる林英哲の和太鼓グループ。なるほどっ、こんなところにまで気を使っていたか!
 ラストの大立ち回りのときは、はっと驚くような仕掛け、細かい細工など、ここが見せ場しっかり楽しませるための演出がてんこ盛りだ。円谷の特撮のようなミニチュアの町並み。それらの配置を変えながらの捕り物劇は、ときに人形を使って笑わせたり、客席通路を駆け巡り、梯子上りまで披露する。
極めつけは、漫画なら最後の1コマ、まるで往年の唐十郎率いる状況劇場のオチのような、それはまぁ派手な…。
 上演時間約2時間半。これは楽しい。

終演後、歌舞伎先輩のモリタとまだ夕方の4時頃から飲み。久々の飲みで目が回って、8時頃だったか、もう訳わかんなくなって解散して、井の頭線急行に乗ったのに、気がつけば急行の止まらない駅のホームに立っていた。その間意識がない。どゆこと?渋谷から吉祥寺までどうやったら2時間かかるの?遠いなぁ、うちは。

2008年06月18日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

02-03-22 ジジ・メタル・パワー

二人合わせて140歳を超えるジェームス・ブラウンとチャック・ベリィのライブを観る。
すごくいい席が買えたので、チケットの売れ行きが良くないのかな、と心配したのだけど、けっこう満席に近い状態。
で、最初のC・ベリーから総立ち。途中C・Bが観客をステージに上げようとして、これが引金になって5,60人がステージ上に押しかけバンドがパニック状態。短気でわがままなC・Bが切れて帰りゃしないか、と心配したけどけっこう上機嫌で演奏は続いたのでした。ロックン・ロールは楽しいね。
 しかしさすがはJ・B、一時間程で切り上げたC・Bの後を受けてバンドが登場するや場内の雰囲気がガラッと変わった。ワー、からウォー、へ。J.B登場までのじらし方が実に巧みで盛り上げてくれる。御大登場後もそのノリたるや素晴らしく、見事なエンターティメントぶりで場を仕切り曲を誘導しテンポを変えダンスを披露する。以前と少しも変わらぬ、いや、10年ほど前に観た時よりも今回の方が元気そうだ。
 伝説や思い出、なつかしさとは無縁の。ほぼ50年間、いま、だけを生き続け、今日に至った二人のジジィ。あぁ観て良かった、来て良かった。オレも老後の生活なんて死んでから考えようっと。

2008年06月14日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

08-06-11 冒険王・横尾忠則展


世田谷美術館。用賀駅から徒歩17分の案内はちとムリがあるが、2度目の来訪それを承知で、散歩だと思えば遊歩道の道のり自体が芸術的行為。芭蕉かっ。
広い砧公園に着いてからも美術館は遠い。芸術好きの老人たちがあちこちに行き倒れになっている。わけでもなく、人影まばらな公園内を球戯場からの喚声を受けながら会場へ。
世田谷美術館は大きく、建物も立派なものだ。武蔵野市の文化施設のなんとわびしいことよ。

予想以上に出品点数も多く、特に今回は’60~’70年代のグラフィックアートの原画、及び製作過程を表す版下や色指定紙の出品もあり、これが目をひく。それもハンパな数じゃなく展示されている。何百点にも及ぶその緻密な原画の数々にまず圧倒させられる。
油彩、アクリルの大作、小品も数多く展示されている。2002年の「森羅万象展」以後も横尾さんは信じられないほどのハイペースで作品を量産し続けているが、「Y字路」シリーズを経て「温泉」シリーズでは、これまで以上に過去の様々な芸術の断片が、画面の中にぎっしりと、ほんとにぎっしりと詰め込まれていて圧巻だ。

シュルレアリズム以後の芸術はコラージュにその本質が現れているように思えるけれど、一見関連のないものを並置させることでイメージの転換を強制させるその手法は、デュシャンやエルンスト、もっとも有名なところではダリ、キリコ、マグリットの絵画が強烈な印象を残した。
そのコラージュの技法を駆使することで初期から強烈な印象を持たせた横尾さんの作品は、近年ますます冴えて、イメージの奔出とでもいおうか、混沌とした世界を1枚の画布に現出させようとして、一見なんの脈絡もないものが画面の中に散りばめられていながら、それが一枚のキャンバスの中に閉じ込められることで互いに関連性を持った意味のあるものとして画面の中に浮かび上がってくる。そこに現れる世界のなんと猥雑で神秘に満ちていることか!世界は混沌であり、美しいわけでも醜いわけでもない。観るものの主観で感じることだ。

横尾さんホントに凄いな、と思うのは、描き続けるペースがまったく落ちないことだ。描き続けるというそのことだけでももの凄いパワーを必要とすることだが、横尾さんはそれ以上にもの凄い量の作品を年々発表しつづけている。量産するばかりじゃなく、1枚1枚の作品の質が上がり続けている。展覧会に行く度にその驚きは増すばかりだ。

チャラチャラと浮ついた実のない広告業界で、最初から他の誰でもない横尾忠則という個性を噴き出させて、消耗品としての広告美術を一気に芸術世界に押し上げてきた。なあに、芸術なんて言葉で語るまでもない、壁に貼ったり飾っておきたいという気にさせるもの、大切に持っていたいと思うような作品を発表し続けてきた、ということなんだけど。
複製芸術としての広告に収まりきらずに画家としての活動を始めてからの横尾さんの作品世界はさらに広く深くなった。宇宙/ コスモスとは横尾さんの作品世界にこそふさわしい言葉だ。


2008年06月12日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’98-05-30 エアロスミス

「Get A Grip」’93年作。「9Lives」と「Pump」の間に発表されたもの。「9Lives」がいい出来だったので、買ってくる。予想通り「Pump」よりさらに勢いがついて、ガンガン迫ってくる。構成も演奏も抜群の出来で、感激して泣けてくる。牛ジャケもいい感じ。
こんな素晴らしいアルバムを作って、次にはもっと凄い「9Lives」を作ってくるのだからすごいっ!かっこいいねぇ、おっさん達!!
 ‘70年代のエアロは売れてたけど、ゼッペリン好きのオレにはなんかチャラチャラしてて薄っぺらいバンドだなあ、と思って好きになれなかったけど、復活してからのエアロはよりパワーを増して一作毎に凄くなってくる。過去の栄光で出ています的なうしろ向きなオッサンバンドが多い中、この前向きな姿勢が心を打つ。
 こういうエアロのようなベテランバンドが力作を発表し続けているのを見ていると、歳を取ってものわかりが良くなるだとか、あきらめがよくなるだとか、自然体で生きるとか、丸くなっていく、なんて言ってるヤツぁ悪の手先、堕落の手引きじゃねえか、と思ってしまう。つっぱってつっぱってつっぱり続けて、死ぬまで目一杯熱くなってるヤツの方が人生まっとうできるんじゃないか?
人の一生はまことに短し。好いたことをして暮らすべし。

2008年06月10日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

08-06-03 山本周五郎と山本一力

 近頃ずっと時代小説にハマっている。中でも山本周五郎は別格だ。「樅の木は残った」「さぶ」「五弁の椿」とこの3本の長編は以前から好きでどれも2,3度読み返しているけれど、最近売られている「中短篇小説選集」全5巻で、初めてまとめて短篇を読んだ。それぞれがどれも面白い。すぐに江戸の裏長屋に引き込まれてしまう。井戸の周りで貧乏所帯のおかみさんたちが、くだらない冗談を言い合いながら毎日の暮らしを笑い飛ばそうとしている様が字面からあふれでてくる。深いなあ~。深い。短いがむしろ長編以上の趣きがある。
この選集は文庫に比べて漢字や送りがなの選定なんかが違っていて、小さなことだけれどもそこにもちょっとした味わいを感じる。
 山本周五郎や藤沢周平は残念ながら亡くなってしまっているが、現役の作家では今、山本一力がいい。直木賞をとった「あかね空」には唸ってしまった。久しぶりにズシリとした重い手応えを感じ、ボロボロ泣きながら読み終えた。
泣かせる小説はいろいろあるけれど、泣かせる理由もいろいろあるけれど、読み終えてからあらためて感動し尊敬の念を抱く作家となるとそうはいない。何冊も続けざまに読んでしまいたくなる作家なんてそうはいない。オレは泣きたいわけじゃないんだ。人の生き方をきちんと描いている作家の本が読みたいんだ。
「ほぼ日刊イトイ新聞」で読める糸井さんとの対談は我が身に沁みた。ボツをくらい続けながら、オレには後がないとふんばり続け、直木賞を取るに至る姿を読みながら、オレにこんな頑張りがあるのだろうか、と思う。しっかりしなきゃ。

2008年06月04日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

’99-03-01 映画「OK牧場の決闘」

NHK教育。バート・ランカスター、カーク・ダグラス主演。脇にリー・バン・クリフや若いデニス・ホッパーも出ている。
カーク・ダグラス演じるドク・ホリデイの愛人が、性悪女になり切れなくて病床のドクを助けようとして一旦出て行ったドクの部屋にまた戻ってくるシーンが心に残る。
クライマックスのクライトン一家との決闘のシーンは、同じテーマの「愛しのクレメンタイン(荒野の決闘)」と同じく今ひとつ迫力に欠けるが、撃ち合いのシーンだけ良くてドラマがしっかり出来ていないもの(たとえばジョン・ウーの作品の数々)よりよほど面白い。    
映画は活劇だと思うが、単純でもなんでも物語/ 人間ドラマとしての面白さに欠けているものは観ていてガッカリしてしまう。かといって人間ドラマに重点を置きすぎてずっしり重くてうっとうしくて出口のないものをみせられても困ってしまう。
ワイアット・アープの物語は何本も作られているけれど、「愛しのクレメンタイン/ジョン・フォード」ほど心に残るものはない。ラストのセリフなんて映画ならでは。「クレメンタイン、いい名だ」うーん、キザですねぇたまりませんねぇ。ロマンスですねぇ。直訳では「私はクレメンタインという名前が好きです」

2008年06月03日 未分類 トラックバック:0 コメント:0