07-06-28 光市母子殺害事件 


裁判とはいったい何なのか。山口県光市母子殺害事件の報道。これは事件そのものよりもそれを審議する裁判の在り方そのものにいら立ちを覚える。
この事件を聞いている多くの人たちも同じように感じることだろうが、20人もの弁護団の公判後の記者会見では加害者の元少年についてはともかく、被害者に対する視線がまるで敵意に満ちていて、元少年こそ被害者であるかのように殺意を否定し、でたらめともとれる話をそれだけ犯行時は常軌を逸脱していたのだ心身喪失者に死刑は妥当ではない、といわんばかりの発言にはあきれてしまう。
真実はどこにあるのか、と問う被害者遺族の本村さんの言はおくとしても弁護団のこの裁判における在り方は死刑撤廃論者でさえ鼻白んでしまうだろう。殺された者に対する哀惜の情のかけらもない彼らは、死んだ者には悪いが生きている加害者に更正の機会を与えよという1点においてのみこの裁判を企んでいる。
この裁判の結果がどうであれ、元少年がどんな判決を受けるのであれ、ボクには彼ら弁護団こそが悪の集団に見える。
人は理で動くのではない。情で動くのだ。情に流されると真実が見えてこない、という大きな欠点もあるが、理がまされば(利がまされば)情などこの世には必要ない、といわんばかりの弁護団の態度には腹すえかねる。法律は万人を対象とするものである以上、どうしても個々の事例ごとに違った判断が必要になってくる。しかし法の精神とは人間を人間として扱うことではないのか。
弁護団が被害者を人間として扱っていないかのように見えるこの裁判に誰がいったい何を得るのだろうか。失うものばかりではないか。被害者ばかりではなく加害者の元少年にも、このような裁判でいったい何を得られるというのだ?彼の言っていることがたとえ本当であるにしても、結果として被害者を殺してしまった事実は残る。彼には罪を背負うだけの理由があるのだ。
本田、安田(弁護団の一員)あんたらは気が狂ってるよ。

*08年の差し戻し審で死刑判決が出たが、弁護団の態度は相変わらずである。
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2008年05月27日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

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