08-05-27 片岡義男と銭湯

 20代の始め頃関西に住んでいた時は、近くの銭湯にコインランドリィはなかった。洗濯は手洗いで、京都でも大阪でもアパートには共同の洗い場があって、どっちも屋上に洗濯物干し場があった。寒い冬はゴム手袋をして、それでも気合を入れないとめげてしまう。時々は重い洗濯物を抱えて、洗濯機のある友達の家へ行った。
 '77年に東京に出てきた時、コインランドリィを初めて知った。まだ寒い3月だったので、これであの痺れるような冷たい水の辛さから開放されると思うと有難かった。
東京に来る少し前までわが部屋には冷蔵庫も炊飯器もなく、それでも自炊をしていた。扇風機やストーブ、エアコンがわが部屋に登場するのはもっと後になってからだ。
 10代の終わりから20代の初めにかけて、片岡義男の小説世界が僕の生活形態を支配していた。「10セントの意識革命」(これは小説ではなく評論集)、「ロンサム・カウボーイ」、「友よまた逢おう」。ロックンロールとカウボーイ、そしてホーボー。共通しているのは、自立の世界だった。ロックンロールは親や社会からの自立。流れ者の生活とは誰も頼らない、いや頼れない1人だけの生活。余計な荷物は持たない。自分のことは自分でする。自分の基準で生きる。自分の心がNOというものはNO。
1人暮らしを始めたばかりの少年はそこに自分の暮らし方をみた。

 今日街をブラブラしての帰り、銭湯の前を通ったら、コインランドリィの洗濯機が随分と少なくなっていた。利用する人が減っているのかな。今じゃ若い人も一人暮らしの人もみんな風呂付の部屋に暮らし、洗濯機もエアコンもあったりするのかな。オレ、片岡の小説読んでなかったら洗濯機くらいは買っていたのかな。
きっと片岡を読んでなくても洗濯機は買わなかったんだろうけど、「友よまた逢おう」の主人公ビリー・ザ・キッドのような流れ者の、身につけられるだけの荷物を持って街から街へ旅をする姿に、なぜか強烈なシンパシーを感じたことも確かだ。
何も持たない、何もいらない。身一つで生きる。禅の講話のような考えは、日本ではなくアメリカのビートニクやヒッピーの間から広まっていった。そういう世界を紹介してくれたのが、当時片岡義男も深く関わっていた「植草甚一責任編集/ Wonderland」という雑誌だった。1年ほどして誌名が「宝島」に変わった。その「宝島」も紆余曲折を経て今では経済誌だ。みんな変わっていく。

 銭湯の前を通り過ぎた後、ふわあっと遠い日の生活を思い出し、片岡義男の乾いた文体を思い出していた。
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2008年05月30日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

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