08-06-11 冒険王・横尾忠則展


世田谷美術館。用賀駅から徒歩17分の案内はちとムリがあるが、2度目の来訪それを承知で、散歩だと思えば遊歩道の道のり自体が芸術的行為。芭蕉かっ。
広い砧公園に着いてからも美術館は遠い。芸術好きの老人たちがあちこちに行き倒れになっている。わけでもなく、人影まばらな公園内を球戯場からの喚声を受けながら会場へ。
世田谷美術館は大きく、建物も立派なものだ。武蔵野市の文化施設のなんとわびしいことよ。

予想以上に出品点数も多く、特に今回は’60~’70年代のグラフィックアートの原画、及び製作過程を表す版下や色指定紙の出品もあり、これが目をひく。それもハンパな数じゃなく展示されている。何百点にも及ぶその緻密な原画の数々にまず圧倒させられる。
油彩、アクリルの大作、小品も数多く展示されている。2002年の「森羅万象展」以後も横尾さんは信じられないほどのハイペースで作品を量産し続けているが、「Y字路」シリーズを経て「温泉」シリーズでは、これまで以上に過去の様々な芸術の断片が、画面の中にぎっしりと、ほんとにぎっしりと詰め込まれていて圧巻だ。

シュルレアリズム以後の芸術はコラージュにその本質が現れているように思えるけれど、一見関連のないものを並置させることでイメージの転換を強制させるその手法は、デュシャンやエルンスト、もっとも有名なところではダリ、キリコ、マグリットの絵画が強烈な印象を残した。
そのコラージュの技法を駆使することで初期から強烈な印象を持たせた横尾さんの作品は、近年ますます冴えて、イメージの奔出とでもいおうか、混沌とした世界を1枚の画布に現出させようとして、一見なんの脈絡もないものが画面の中に散りばめられていながら、それが一枚のキャンバスの中に閉じ込められることで互いに関連性を持った意味のあるものとして画面の中に浮かび上がってくる。そこに現れる世界のなんと猥雑で神秘に満ちていることか!世界は混沌であり、美しいわけでも醜いわけでもない。観るものの主観で感じることだ。

横尾さんホントに凄いな、と思うのは、描き続けるペースがまったく落ちないことだ。描き続けるというそのことだけでももの凄いパワーを必要とすることだが、横尾さんはそれ以上にもの凄い量の作品を年々発表しつづけている。量産するばかりじゃなく、1枚1枚の作品の質が上がり続けている。展覧会に行く度にその驚きは増すばかりだ。

チャラチャラと浮ついた実のない広告業界で、最初から他の誰でもない横尾忠則という個性を噴き出させて、消耗品としての広告美術を一気に芸術世界に押し上げてきた。なあに、芸術なんて言葉で語るまでもない、壁に貼ったり飾っておきたいという気にさせるもの、大切に持っていたいと思うような作品を発表し続けてきた、ということなんだけど。
複製芸術としての広告に収まりきらずに画家としての活動を始めてからの横尾さんの作品世界はさらに広く深くなった。宇宙/ コスモスとは横尾さんの作品世界にこそふさわしい言葉だ。


スポンサーサイト

2008年06月12日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

コメント


コメントの投稿







管理者にだけ公開する


トラックバック

トラックバックURL
http://redmans.blog59.fc2.com/tb.php/130-d5873a55

トップページ