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11-08-23 脱原発で気にかかること

震災以来ずーーーーっと気にかかっていることがある。
それは、政府、及び国民の多くが、脱原発を口にしていることだ。
原発は危険だ。だからやめよう。
なんかおかしい。
今度の原発事故は、想定外の事故ではなく、あきらかに人災だ。
100年前にも同じような大津波が同所に起こっていて、以前から指摘されている。
それを、そんな大津波は想定されないとして原発建設をした東京電力の責任は重い。
過去のデータのどんな大きな津波がきても大丈夫なように建設するのが、原発の基本ではないのか。
それを想定外と詭弁する東京電力の罪は重い。
その結果が、世界を巻き込んだ現在の脱原発になっている。
もしも、今回並の津波を想定した原発が建設されていたとして、事故が起こっていなかったとしたら、こんなに脱原発の声は大きくならなかっただろう。

それでも原発は危ない。

事故が起こったから原発は危ないのではなくて、事故が起こらなくても原発は危険な存在なのだ。
それは、最初の建設からずーーーーっと言われ続けていることだ。
‘70年代のオイルショックの時、電力危機が言われた。節電を言われ続けていたのに、いつの間にか夜の街は明るくなり、用もないのに様々な建物がライトアップされるようになった。
それは、オイルの不安定な供給に代わり、安定した電気の供給を図るために原発がこの国にどんどん建てられていったからだ。
誰もそのときに電気は余ってるから原発はいらない、とは言わなかった。わけではないのだが、ほとんどの人は気にもかけなかった。

そうして現在の日本ではほとんど全ての産業が、電気なしでは動けなくなってしまっている。電力不足で停電すれば機械が動かなくなり、倒産してしまう会社や工場が山ほどある、という。
一般人の暮らしも、以前とは比べものにならないほど電気を消費している。
エアコンなんて一人暮らしの部屋にはなかった。学校にだってついていなかった。
今じゃパソコンだけでどれだけコンセントを占拠しているのだ。
なにを買ってもコンセントにさしこまなければならないものばかりだ。
そんな中で育ってきた若い人たちが、今、脱原発を叫ぶ。まるで流行りのように。
これは、流行りで済まされることではない。
代替エネルギーが安定した電力供給ができるようになるまでは、不便でもいい、エアコンなんてなくったっていい、停電したっていい、そんな覚悟ができているのだろうか。
昭和30年代以前に生まれた人たちなら、子供時代に戻るだけだ、と思えばいい。けれども、それ以後の電気の生活が当たりまえになった人たちが、覚悟もなく無責任に、脱原発を流行りのように話しているのを聞くと、
大丈夫なのかな、この国はどうなってしまうのだろう、と思ってしまう。

選択肢は1つではない。
脱原発のほかに、もっと安全な原発は作れないのか、というのもあるだろう。
菅首相の脱原発発言は、どんなに努力しても安全な原発は作れないから原発をやめよう、と言ってるようにしか聞こえない。それは本当だろうか。
少なくとも、議論を尽くした上で出てきた結論ではないだろう。一国の首相の発言としてあまりにも無責任ではないか。
とんでもない時にとんでもない人が首相になったものだな、と思う。地元武蔵野で、菅に一票入れた自分を恥じる。
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2011年08月24日 未分類 トラックバック:- コメント:-

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