スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--年--月--日 スポンサー広告 トラックバック:- コメント:-

06-06-24 泉昌之の終わり

 思えば随分長いこと続けたものだ。久住と美学校で知り合って29年、泉昌之でデビューしてからももう26年。こんなに長いこと続けられたのも久住昌之という才能に鼓舞され続けてきたからだ。久住と出会わなければそもそも僕は漫画家にはなっていなかっただろう。久住のおかげで僕はここまで続けてこられたし、漫画だけではなく人間というものを考える意味でいろんなことを久住から学んだ。そのことはとても感謝している。が、それももうおしまいだ。彼は僕の考える常識の外に暮らしている。僕達はそもそも水と油だ。混ざり合わないままに共存してきた。それが作品世界という中で1+1=無限大という効果を出してきたと思う。久住の漫画の最初の読者が僕で泉昌之の最初の読者が久住だったのだ。僕達は二人で遊んでいただけだ。自分ひとりではとても思いつかない世界を久住が提示してきて、僕はその面白さに負けないような絵を描こう、久住があっと驚く絵にしてやろう、とそれこそ必死で描き続けた。
最初出来上がった「夜行」を二人で、数件の出版社に持ち込んだが反応はいまひとつだった。こんな面白い漫画の価値がわからないなんて!それから美学校の先輩でもあり「ガロ」の元編集長でもあった南伸坊さんに見せに行った。南さんは面白がってくれたが「長井さん(社長)は原作つきが好きじゃないから、泉くんが描いたことにして持っていけばいい。久住もそれでいいだろ?」と言われ、帰りの電車の中で久住から「泉昌之」を提案された。その時はまさかこんなに続くことになるとは夢にも思わず、軽い気持ちでそれもいいね、となったのだ。なんたって僕は漫画家になろうなんて思ってなくて僕のアイドルは横尾さんやピーターマックスで、美学校に行くまでは「ガロ」すら読んでいなかった。
そうして「夜行」は長井さんに認められ「ガロ/’81-1月号」に掲載された。最初の単行本は’83-5月に「かっこいいスキヤキ」。
「ダンドリくん」が終わる頃、「もう泉昌之でやりたいことはやりつくしてしまった」と久住が最近のネットインタビューで答えているように僕達はもうバラバラだった。
二人でやれることはまだまだあるはずだ、と取材の帰り等に酒を飲みつつ何度も久住の尻を叩いたがそれは久住には伝わらなかったみたいだ。そうしてここ1,2年は気力だけで描き続けた。やる気があるんだかないんだかわからない原作、それも締め切りギリギリの綱渡り。オレに漫画をちゃんと描かせろ!漫画の内容ではなく外側で苦しむのはもう沢山だ。もう限界だよ。
遊びの時間は終わった。久住という面白巨人を前に僕は長い間もがいていた。もがき続けてきた、と言ってもいい。自分に出来ることと出来ないこと、もがき続けてやっと出口が見えてきた。まだまだ自分にはやりたいことが沢山ある。僕の仕事は漫画を描くことだ。描き続けることでしか答えは見えてこない。
スポンサーサイト

2006年07月01日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

コメント


コメントの投稿







管理者にだけ公開する


トラックバック

トラックバックURL
http://redmans.blog59.fc2.com/tb.php/41-9d5c1b73

トップページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。