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’96-03-08 「空海の風景」

ほぼ半年ちびちびと読み続けてきた。実に興味深く読むことができたが、司馬遼太郎の記述では官能性が希薄で薄く膜をかけたような描写に終始している。空海の説く密教には何故か色濃く官能性が裏に潜んでいるように思えるのだが。エロの希薄な人間にあのような世界観が生まれるとは思えないのだが。曼荼羅こそエロが凝縮されているように思えるのだが。重要なテーマであるはずの「艶/エロ」というものを描くにふさわしい人に空海を書いてもらいたいな。
男と女の恋愛だけが官能ではないだろう。音楽にひと際感じる官能の世界、とか言葉で説明できない現象そのものに宿っている官能の美、というものに何か根源的な世界の秘密がある。ような気がする。愛とか恋とか、ひとがもっとも迷う事柄にこそもっとも大切なことが潜んでいる。ような気がする。ひとがそのようなものに涙するのはなぜだろう。
光の中に影はない。光をさえぎるものがあって初めて影はできる。光をさえぎる存在そのものが、光も受ければ影も作り出す。この世は太陽の周りを回る惑星のようなものだ。
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2006年07月11日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

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