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’96-03-04 バグワン・シュリ・ラジニーシ

 *バグワンシュリラジニーシ(1931~1990) インドの導師(グルー)。晩年オショーと改名。

今、バグワンの講和録やバグワンについて書かれたものを読むと、他のグルー以上に生きている人間そのものを感じる。バグワンの講和録を読み、会いに行こうと’79年にインドへ行って毎日講話を聞いたりしてきてから、長い間僕にとってグルーはグルーであり人間以上の存在だった。でも、バグワンも一人の人間だったのだ、と理解することで僕の中で初めて宗教や人間に対する考えが少し変わった。
宗教の、教祖を神のようにあがめてしまう事で、見えるものも見えなくなってしまう。その人が人間として生きてきた、考えてきたことの過程がみえなくなってしまう。一人の人間として教祖を見ることの方が大切なのではないだろうか。
悟りを開く、というがそれで人間は神になるわけではない。悟りを開こうがなにしようが人間は最後まで完全にはなれない。食うために働くこと、愛すること、欲情すること、思考すること、行動すること、等々それらの間で人は揺れ動いていく。どんなに素晴らしいひらめきや数々の体験からくる鋭い洞察があろうと人は不完全な生き物である。人間である以上過ちを犯してしまう部分が必ずどこかに残ってしまう。

-03-06
「ラジニーシ・堕ちた神/ヒュー・ミルン」読了。単なる暴露本かと思ったが、この著者は本当にバグワンが好きで好きで心配で、神様じゃなく一人の偉大な人間の失墜を、自分の体験とともに綴った、正に身を切るような記録として泣かされた。
あぁそうなんだ。オレもバグワンのことが本当に好きだったんだ。オショーなんて言い馴れない言葉でバグワンのことをよべないよォ。
バグワンの身近にいた者にしか書けないグルーの実態は、大きな影響を自分の考えにもたらした。全ての人間は人間としての限界を超えていくことはできない。キリストや仏陀でさえもそうだと僕は思う。人間だからこそ人間を魅きつける。すごいところだけを取り上げて人を神格化してはいけない。
例えばジョン・レノンも「愛と平和の人」なんて祭り上げられてるけれど、そういう側面も持ったロッカーだった、ということの方がずっと大切なことのように思う。
教祖や先生やアイドルや恋人、なんであれ他人を盲目的に祭り上げてはいけない。人間としての弱い部分、醜い部分があって当たり前。それを許さない環境作りをしてはいけない。自分も他人も。さもなければ醜い部分も正当化してしまうことになる。
同じように、回りの人間を勝手にこの人はこういう人、って決め付けてはいけない。あなたの知らない部分を持っていて当然。自分だってそうでしょ?持ち上げられて困惑することだってある。けなされてそれが全然的を得てなくてくさる事だってあるでしょ?

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2006年07月15日 未分類 トラックバック:0 コメント:0

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